当時としては世界最高速戦闘機で、上昇率も極めて高く、迎撃戦闘機として極めて有能とされた。最盛期の1937年には英本土の14個飛行隊がゴーントリットで装備されていたが、これは本土防衛の戦闘機Sqd.の定数が21個の時代の話であり、文字どおり一時は英空軍の主力戦闘機であった。
しかし、寄る年波には勝てず、1939年までには大部分の飛行隊から姿を消し、英本土の飛行隊で開戦時にゴーントリットを保有していたのは第616たった一個のみとなり、それも数週間のうちにハリケーンで再装備された。
ゴーントリットの英本土での最後の任務は1939年12月9日に、空軍の気象予報隊が気象観測に飛ばしたものが最後である。
しかしながら、アフリカでは主として地上攻撃部隊に配備されていたとはいえ、まだ現役であった。
エジプトでは1940年まで戦闘第33・第112飛行隊、直協第3飛行隊がなおもゴーントレットを飛ばしており、リビアから国境を越えたイタリア軍に対して出撃していた。そのうち、戦闘機隊からは10月で引揚げられたが、それらは直協第3が引き継ぎ、12月に部品の供給がなくなって飛行不能になるまで出撃を繰り返していた。
スーダンでは、第43飛行集団が編成され、直協第6飛行隊が南アフリカ空軍第1飛行隊の増援を受け、エリトリアのイタリア軍に対して出撃し、8月末から10月初めにかけて活発に行動、9月にはイタリアのカプロニCa133を空中戦で撃破して、第二次大戦でゴーントレットが挙げた唯一の空戦戦果も記録している。RAFの部隊がライサンダーに切り替わってからもしばらくはSAFF(南アフリカ空軍)の隊はゴーントリットの運用を続けた。
ソマリアでは直協第2飛行隊がごく少数のゴーントリットを運用した。
これらのアフリカに展開するゴーントリットも、1942年を迎えるまでには引退か用廃となって姿を消していった。
この他、フィンランドは24機のゴーントリットを所有していた。
これは、冬戦争中に南アフリカ政府の醵金によって、当時たくさん出てきていた余剰の英本土のゴーントリットを買って送ったものだが、到着は休戦の三日前とあって、待ち焦がれていたフィンランド空軍第29飛行隊の手には渡らなかった。
もっとも、グラジエーターでもあまり役に立たなかったことからみて、ゴーントリット24機の増援の効果は疑問なしとしない。
むしろ、これらのゴーントリットは練習戦闘機としてフィンランド空軍の猛者を育てたことに意味があろう。
デンマークは17機のMk.IIをライセンス生産して保有していたが、開戦時にドイツ空軍にほぼ全てを地上撃破されてしまい、何らの貢献もできなかった。
また、南アフリカに6機、オーストラリアに6機、ローデシアに3機が供与された。
全幅 | 9.99m |
---|---|
全長 | 8.00m |
全高 | 3.08m |
翼面積 | 29.6m2 |
自重 | 1,225kg |
離陸最大重量 | 1,800kg |
武装 | 7.7mmヴィッカーズMk.V機銃*2 |
発動機 | ブリストル・マーキュリーVI S2 空冷星型9気筒 640馬力 |
最高速度 | 370km/h(4,800m) |
海面上昇率 | 6,000m/9min |
実用上昇限度 | 10,000m |
航続距離 | 725km |
乗員 | 1 |