フェアリー・フルマー

 本機の原型は空軍省仕様書P.4/34に基づく急降下爆撃機で、1937年1月13日に初飛行した。
 この急降下爆撃機は試作機2機が作られたものの結局キャンセルとなってしまったが、フェアリーでは艦隊航空隊向けの複座艦上戦闘偵察機の仕様書O.8/38に対してP.4/34の改造で応ずることとし、実際にP.4/34試作2号機を改造して試作機の製作に入った。
 仕様書を受け取ってからわずか7週間で新試作機は完成した。
 試作機はただひとつの要素を除いて要求をすべて満たしたが、海軍省はO.8/38から「フロートをつけて運用可能」という項を削除することでこれに対応、1938年3月16日付で127機を発注、本機はフルマーと呼ばれることとなった。
 更に同年9月にはミュンヘン危機を受けて発注数は250機に増されたが、フェアリー社はストックポートとヒートンチャペルに建設中の新工場が竣工するまで生産には入れないと海軍省に通告している。海軍としては空軍時代に溜まってしまった旧式複葉機の群に喘いでおり、一刻も早く新型機を欲していたからこそフルマーの選定となったわけだが、まんまとしてやられたというところである。
 結果、フルマーは1940年1月4日に量産1号機がようやく完成したが、今度は装備エンジンであるマーリンVIIIが間に合わず、とりあえずマーリンIIIをつけて1機だけ完成はさせたものの、工場には首なしフルマーがずらりと並ぶ事態となった。
 マーリンVIII装備機は遅れに遅れて1940年4月6日にやっとラインを出て初飛行し、その後は順調に進んで1940年中には159機のフルマーが完成した。
 実戦部隊への配備は1940年6月にウォージーダウン基地にあった第808Sqdを皮切りに開始され、その後急速にオスプレイ及びスキュア、シーグラディエイターと交代を進めた。
 本機は要求仕様は満たしているものの、その仕様自体が甘かったことは明らかで、特に馬力不足からくる速度と上昇力の不足には大いに悩まされた。にもかかわらず、FAAが得られる戦闘用の機体としてはシーハリケーンとシーファイアが登場するまでは最良のものであり、低性能を気合と闘志で補ってそれなりの活躍もしている。
 二次発注分はマーリンXXXを装着したMk.IIとして350機が発注された。エンジン出力が1300馬力に強化され、プロペラも改められた他、熱帯地用の各種装備品が追加された。にもかかわらず、自重で159kg軽くなっており、速度はいくらも向上しなかったものの上昇力には顕著な改善が見られた。
 生産は1943年2月まで続き、試作機と量産1号機を含む602機が生産された。
 また、イタリア空軍の夜間雷撃機に対抗するため、1941年にフルマーMk.IIを夜間戦闘機とする計画があり、HMSデーダラスで知られるリーオンソレントのFGA(Formerly a Government Aerodrome)でAI Mk.VIレーダーを搭載して試験に入った。結果は思わしくなく、AI Mk.IVに取り替えたりいろいろやってみたが、結局抵抗増大による性能低下は如何ともし難く、1944年2月に試験は中止された。
 とはいえ、ファイアフライ夜戦型の訓練の為に、高性能艦戦の配備により余剰を出しつつあったフルマーMk.IIから100機ほどが1942年6月から1944年にかけて改造されている。この訓練部隊は補助的に英本土夜間迎撃の任務も持たされていた。
 量産1号機は後にフェアリーに返還され、社用機として飛んでいた。この機体は現在ヨービルトンの艦隊航空隊博物館に収蔵されている。

(文章:まなかじ)


原型のP.4/34

飛行中のMk.I

Mk.II

諸元(Mk.I)
全幅14.14m
全長12.24m
全高4.27m
翼面積31.77m2
自重3,960kg
離陸最大重量4,850kg
武装7.7mmブローニング機銃*8
発動機RRマーリンVIII 液冷V型12気筒 1080馬力
最高速度398km/h(2750m)
巡航速度310km/h
海面上昇率366m/min
実用上昇限度6,560m
航続距離1,290km
乗員2名

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