空軍省の単発高等練習機仕様書Y34/39に基づき、エアスピードではAS.45として尾輪式低翼単葉引込脚、胴体前半部は鋼管骨組に羽布張り、胴体後半と主尾翼は木製という、まずはオーソドックスな機体を設計した。
特に翼下面は胴体と一体構造となっており、きわめて頑丈で不時着にも十分耐えるものと期待された。
また、写真をよく見ればわかるように、胴体側面に逆三角形のドアがあり、これが胴体両側面に計4つあって、いかなる姿勢からでも緊急脱出が容易にできるように配慮されている。
ただ、このドアは狭くて乗降りにはたいへん不便であるという試験評価も頂いている。配慮も空回りであったらしい。
また、これまたさらに前席に注目していただきたいのだが、窓は逆三角形の一辺に引っかかるので半分までしか開かない。写真の状態が「全開」である。
エンジンは仕様書どおりのマーキュリーVI(プロペラはデハビランド定速)であったのに、重量の数値が残っていないのではっきりとは言えないのだが、かなりのアンダーパワーであったようである。言い換えれば重量が過大であった。
試作初号機は1941年2月19日に初飛行したものの、速度は要求の260マイル(420km/h)に達せず、また低速時の飛行特性は不安定で挙動不審なものであった。
さらにまた写真を見ていただきたいが、水平尾翼の高さが微妙で、大迎角をとると主翼の後流に入ってしまって一時的にもせよ操縦不能に陥る欠点があった。
これらの欠点は改良すればどうにかなったかもしれないのだが、AS.45にとって不幸なことに、戦争によって高等練習機が不足するだろうという予測は、アメリカがレンドリースでごっそりと一大傑作練習機ノースアメリカン・ハーバード(AT-6/SNJテキサン)を供給してくれたので、すっかり当てが外れたかたちになってしまったのである。
しかもAS.45の性能は現行の国産機マイルズ・マスターと大差ないとあってみれば、これを時間をかけて改良する必要はまるっきりなく、AS.45は試作2機を以って中止となってしまった。
従ってケンブリッジの名は制式名称ではなく、一応空軍省の公式名称ではあるがあくまで暫定名称でしかない。
製作された2機は一応空軍に納入されたが、1942年中に登録抹消されている。
全幅 | 12.80m |
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全長 | 11.00m |
全高 | 3.51m |
翼面積 | 26.94m2 |
自重 | 不明 |
離陸最大重量 | 不明 |
武装 | なし(予定:ヴィッカーズ7.7ミリ*3 [胴体固定*1 翼内*2]) |
発動機 | ブリストル・マーキュリーVI 空冷星型9気筒 730馬力 |
最高速度 | 381km/h(4,875m) |
実用上昇限度 | 7,560m |
航続距離 | 1,094km |
乗員 | 2名 |