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PZL P.50 ヤストレザブ

 第一線にあるP.11cの後継機として、W・ジャキミゥク技師の設計になる全金属製低翼単葉引込脚の戦闘機であるP.50は、1937年にB・オリンスキの操縦で初飛行している。
 P.11の初飛行が1931年であるから、遅れはいかにも否めない。
 プラウスキ技師が1935年に死去したあと、PZLの戦闘機開発は一時停頓してしまった感がある。
 このP.50は、1936年1月に初飛行している固定脚のP.45ソコルを引込脚に改めたものであるが、より高速を狙って各部に改設計が施されており、共通部分はほとんどない。

 機体の構成は、ややずんぐりした胴体に楕円翼、エンジンはマーキュリーVIIIの870馬力。操縦席の位置を高くとっているのが特徴的である。
 性能的にはイタリアのR計画戦闘機群に近い程度と言えるようで、エンジン出力からいっても妥当なところであろう。

 ドイツとの開戦時には増加試作の段階であったが、本機は性能不足として次期主力戦闘機にホーカー・ハリケーンを推す動きも強く、採用は見込み薄であった。
 原型のP.45が660馬力のグノームローン14M 05マルスで420km/hからすれば、870馬力で500km/hは立派と言えるだろうが、報じられるBf109EやMiG1の高性能を聞いては、1939〜40年の次期戦闘機としては能力不足との判断は致し方ないところか。
 また、試験飛行ではどうしても500km/hには届かなかったという話もある。
 若干機が武装して実戦出撃を試みたが、見慣れない飛行機というので味方対空陣地に撃たれてしまい、結局出撃はそのただ一度だけだったそうである。

 本機の発動機をイスパノスイザ12Zに換装(P.56カニヤ)、ブリストル・トーラスIII、ないしはハーキュリーズIIIに換装(P.53ヤストレザブIIA)、グノームローン14N-21に換装(P.53ヤストレザブIIB)する計画もあったが、もちろん計画のみに終っている。

(文章:ダリオ・マナカジーニ)


諸元
全幅9.7m
全長7.7m
全高2.7m
翼面積19.4m2
自重1,900kg
全備重量2,400kg
最高速度500km/h
実用上昇限度9,000m
航続距離750km(過荷重)
エンジンブリストル・マーキュリーVIII空冷星型9気筒870馬力
武装なし(予定では7.92mm PWU wz.36機銃*4)

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