本機はコールホーフェンの自主製作機で、オランダの先行ベストセラー機であるフォッカーC.V-Dの後継機の座を目論んでの開発であった。
1937年2月9日に試作1号機はブリストル・マーキュリーIVS(645馬力)をつけて初飛行し、すぐに続いてマーキュリーVIIIにエンジンを強化した2号機・3号機も進空し、1938年のヘンドン航空ショーで華々しくデビューを飾った。
複葉戦闘機ながら翼の機銃はマドセン20mm機関砲を装備し、胴体下に115kg爆弾1個を装備できるという凶悪な武装と、軽快な運動性を兼ね備えた優秀機であった。
しかし、1937年初飛行というのはちとタイミングが遅かったと見えて、オランダ空軍は採用せず、そんなわけでどこからも引き合いがこないまま、試作機3機はコールホーフェンの倉庫に1939年の冬までしまいこまれていた。
それをどこからかかぎつけたのが、スウェーデンのカルル・グスタフ・フォン・ルーセン伯爵である。
折からのソ連軍のフィンランド侵入(冬戦争)に義勇軍として参加するのに、自腹で(!)ダグラスDC-2を1機と、FK.52の試作2号機と3号機を購入して従軍したのである。
まさに、ソ連軍からすれば憎むべきブルジョワ階級まるだしなやり方であるが、これによってFK.52はようやく陽の目を見ることになった。
北欧が購入したことで、オランダ空軍も本機に食指を動かし、1940年2月に36機を発注したのである。だが、時期が時期だったので、これらの機体は工場を出ないうちに翌春のドイツ軍の西方電撃戦にまきこまれて失われ、従ってちゃんと働いたFK.52は、ルーセン伯爵が在庫一掃処分で買った、このたったの2機だけということになる。
ルーセン伯爵のFK.52は、DC-2を爆撃機に改造しているうちに一足先にフィンランド空軍に寄付されて伯爵の手を離れてしまったが、フィンランド空軍第36戦闘爆撃飛行隊に配属され、冬戦争中はおろか継続戦争中の1943年に両機とも失われるまで活躍を続けた。
フィンランド空軍ではKO-129とKO-130の機番号をつけ、翼の20mmは下ろされて7.7mmに換えられてしまったが、フォッカーC.Xよりも運動性・速力ともに優り、好評であったと伝えられる。
全幅 | 9.80m |
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全長 | 8.30m |
全高 | 3.30m |
翼面積 | 28.4m2 |
自重 | 1,650kg |
全備重量 | 2,500kg |
最高速度 | 380km/h(4750m) |
上昇時間 | 4,000mまで7分30秒 |
上昇限度 | 9,800m |
航続距離 | 1,130km |
武装 | 前方固定ブローニング7.7mm機銃*2 後席旋回L-33/34 7.62mm機銃*1 爆弾150kg |
発動機 | ブリストル・マーキュリーVIII空冷星型9気筒 840馬力 |
乗員 | 2 |