大馬力の液冷発動機を整備できなかった日本陸軍が、ドイツからライセンスを購入して国産化することが決定していた川崎製「ハ40」を二基コクピットの前後に配置し、前面投影面積を単発機並として高速を獲得することを目指した機体で、この二基のエンジンにはあらたに「ハ201」の名称が与えられていた。 高速化についてさらに徹底すべく、エンジン冷却に表面蒸気冷却方式を採用していた。 開発は昭和一五年十月に始まり、昭和一八年一二月に一機完成している。しかしながら、昭和一六年四月の陸軍方針で、これらの複雑な機構に対する危惧から、すでに本機を実験機扱いしキ60の改良型を優先させることが決定されている。最もこのキ60も、キ61(後の三式戦闘機「飛燕」)がさらに上回る性能を示したことと、総合評価でキ44(後の二式単座戦闘機「鍾馗」)を下回ったこと等により試作のみで終わっている。 表面蒸気冷却方式は、主翼等の外板に設置したパネルに蒸気化した冷却液を導いて、その外板の表面から熱を奪って冷却する方法で、その方式は海軍がドイツから輸入したハインケルHe100Dを参考にしており、そのため、このキ64開発にあたってはこのHe100Dの資料を海軍から借り受けている。キ64の冷却パネル位置としては、当初は外翼の上下面のみを使用する予定であったが、設計中に冷却不足が発覚したためフラップ上下面にも冷却パネルを追加している。 本機は、完成後五回の試験飛行を実施したが、五回目の飛行で後部エンジンからの出火により火災を発生して緊急着陸をし、このとき片方の主脚を破損している。このため、エンジンはすぐさま機体から降ろされて川崎の明石工場のエンジン部門に修理のため送られた。また、機体も岐阜工場に送られている。 機体の方はただちに修理されたが、エンジンについては、既存のエンジンであるハ40、ハ140の生産に全力が注がれていたことにより工場設備に空きが無く、ついに修理されること無く終わっている。 以降、このキ64が飛行することはなかった。 基本的な機内レイアウトであるが、エンジンや冷却システムに機内スペースを占領されているため燃料の搭載量が少なく、航続距離は1000km程度となっている。逆に、この冷却システムでは地上運転中と上昇中に冷却不足になることが予想されており、そのため大容量の水タンクが設置されている。水タンクの容量は二〇〇リットルとされているが、残された図では345リットルと明示されており、数字が一致していない。主翼内翼前縁に主タンクがあり、胴体に二つの補助タンクがあるが、主タンクだけだと仮定しても一四〇リットルにしかならない。このあたりの数字が不一致である理由は不明である。 後方エンジンのプロペラシャフトは、防護チューブで保護されて、コクピット内の座席下面とパイロットの両脚の間を通り前部エンジンの後部に接続されており、さらに前部エンジンのプロペラシャフト内を通って前方に抜けている。 プロペラは三翅(し)ずつの二重反転で、前部エンジン内を貫通してきた後部エンジンのプロペラシャフトが前方のプロペラを駆動し、その外側に位置する前部エンジンのプロペラシャフトが後部プロペラを駆動する。ただし、プロペラピッチ変更装置開発の遅れから、片方のプロペラのみは固定ピッチとなっており、テストではプロペラ回転数の不一致を理由とした不具合が発生していた。 なお、どちらのプロペラが可変ピッチでどちらのプロペラが固定ピッチであったかは資料により異なっている。この当時のプロペラピッチ変更装置はハミルトン・スタンダード社製の油圧式のものがほとんどであったため、これを採用していたと仮定するなら、ピッチ変更装置をエンジン側に配置し油圧をプロペラシャフトを通して送る方式であるので、後部エンジンが駆動する前方プロペラが可変ピッチであった可能性が高い。しかし、このプロペラピッチ変更装置は「恒速式」でなく「可変式」であるため、他のメーカーのものが採用されていた可能性も低くはないので、この結論を出すのは難しいと言えるだろう。ちなみに、アメリカのTAIUが終戦直後にまとめたレポートでは、前方のプロペラが可変ピッチ方式であったとされている。 なお、この機体の開発と平行してVDM電気式恒速プロペラピッチ変更装置も開発されていたが、機体の初飛行までに完成することができなかった。五回目の飛行後の修理時に、このプロペラピッチ変更装置に交換する予定であったが、前述の通りエンジンの修理が行われなかったためそれは実現しなかった。 主翼の翼型にはLB翼と呼ばれる層流翼の一種が採用されている。 エンジン冷却系統の配置は、左翼の冷却装置が前方エンジン冷却用で、右翼の冷却装置が後方エンジン冷却用で、冷却パネルの面積は片翼12平方メートルずつの合計で24平方メートルである。なお、この冷却装置はエンジン本体の冷却用であり、オイルクーラーに関しては通常形式のものを右内翼下面に半埋込み式に装備している。 この冷却システムを調査する目的で、キ61の一機が改造されテストされた。この結果、最大速度が40km/hも向上しており、この冷却システムが速度性能の大幅向上に有効であることを実証している。このテスト結果については、戦後の米軍からの聞き取り時に土井武夫技師も証言している。 米軍でもこの冷却システムには注目していた。本機の機体部分が戦後も良好な状態で川崎航空機の岐阜工場に保存されていたこともあり、日本国内において本機の調査を担当したTAIUの報告書でも、本機を米国へ持ち帰って研究することを強く勧めている。そして、少なくともレポートには「キ64から取り外された蒸気冷却システムの構成部品である装備はオハイオ州デイトンのライトフィールドに発送される予定である」と明記されている。 しかしながら、本機または本冷却装置が実際に米国へ持ち帰られたかは定かでない。 主要諸元 全幅 13.500m 全長 11.050m 高さ 4.250m 翼面積 28.000平方m 自重 4050kg 積載量 1050kg 総重量 5100kg エンジン ハ201(ハ40を2基連結したもの) 定格出力 2200馬力/4200m/2400rpm 離昇出力 2350馬力/2500rpm プロペラ 3翅×2 プロペラ直径 3.100m 翼面過重 152.0kg/平方m 馬力荷重 2.32kg/馬力 最大水平速度 690km/時(高度5000m) 上昇速度 5000m/5分 実用上昇限度 12,000m 航続距離 1,000km 武装 13mm固定機銃×2 20mm固定機銃×2 乗員 1名 |
米軍資料翻訳:大塚好古 文:胃袋3分の1 |