一式戦隼と同時期に開発された局地防空用重戦闘機。 昭和13年に開発が発令されたが初の重戦闘機ということもあり、要求内容が決まったのは 昭和14年半ばであった。設計は「隼」と同じ小山技師を主務としてほぼ同時期に進められ、 最大速度600km/h以上、5000mまで5分以内、600km以上の行動半径 で7.7mm×2、12.7mm×2の機銃を搭載することとかなり高度な要求であったが、それ以外に は制限が無かった為翼面積15平方m、翼面過重150平方mと思い切った値をとり、直径は大き いものの重爆用に開発されたハ41を搭載。低速時と射撃時の座りをよくする為に垂直尾翼の 位置を後方へ思い切って移し、昭和15年8月に試作1号機が完成。速度、上昇力ともに要求を 下回ったが,カウル、カウルフラップ、エアダクト等の改修(油圧によって開閉し、高速移動時と 空戦時の性能を高める「蝶型フラップ」を採用)によって要求を満たせるめどがつ き、昭和16年夏に行われたBf109との比較試験では同機以上の優秀さが立証された。 昭和16年秋には試作機、増加試作機によって編成された独立飛行47中隊が実用試験をかねて 仏印へ進出し、開戦とともにマレー、ビルマ方面で参戦。初戦果は昭和17年1月のシンガポー ル攻略戦のときであった。 昭和17年4月の東京空襲によって独立飛行47中隊は帝都防空のために松戸へ帰還、配置され、 調布、成増と移動するうちに飛行第47戦隊に改編、柏の飛行第70戦隊とともに本土防空戦に活躍した。 (飛行第47戦隊は猛訓練で有名で数多くの殉職者を出したが、3個中隊50機の出動命令から離陸完了まで 3分15秒という記録をもっているとか。鐘馗は8000mまで9分37秒と言うから発令から上空待機まで 12分52秒ということだろうか?) 用兵側には視界不良と低速での安定性を欠いた為に不評だったようであるが、戦後の米軍の調査 では、「良質な燃料を使用すれば、防空戦闘機としてきわめて優秀」という評価を得たそうだ。 一時量産型の「キ-44T」は昭和17年初めには生産が始まっており7.7mm、12.7mm各2の 甲型、12.7mm4門の乙型、さらに改修型の丙があり昭和17年9月に二式一型戦闘機として制式化さ れた。 発動機をハ-109に換装「キ-44U」は昭和17年12月に二式二型戦闘機として制式採用された。 二型は脚カバーの形状変更、光像式照準器の採用、潤滑油冷却器の機首下面移設がされててい る。また7.7mm、12.7mm各2の甲型、胴体に12.7mm2、翼内に40mm2門装備の乙型、12.7mm 4門の丙型と一型同様武装で区別される。総生産数1225〜7機の大部分が二型であった。 また、発動機を2000馬力のハ-145に換装、翼面積を4平方m増加し, 方向舵の形状の改修, プロペラは4枚になり武装により甲・乙の2タイプ計画され た「キ-44V」(三型)も 数機作られたが量産戦力化はされなかった。 |
型式 | キ-44T | 型式 | キ-44U |
乗員 | 1 | 乗員 | 1 |
全幅 | 9.45m | 全幅 | 9.448m |
全長 | 8.85m | 全長 | 8.843m |
全高 | 3.248m | 全高 | 3,248m |
主翼面積 | 15.0m2 | 主翼面積 | 15.0m2 |
自重 | 1,940kg | 自重 | 2,095kg |
全備重量 | 2,571kg | 全備重量 | 2,764kg |
全備過重 | 2,886kg | 全備過重 | 甲 2,998kg 乙 2,993kg |
エンジン | 中島100式(ハ41) 空冷 離昇推力1,260hp *1 | エンジン | 中島2式(ハ109) 空冷 離昇推力1,520hp *1 |
プロペラ | 定速3翅、直径2.95m | プロペラ | 定速3翅、直径3.00m |
最大速度 | 580km/h(3,700mn) | 最大速度 | 605km/h(5,200m) |
巡航速度 | 400km/h | 巡航速度 | 400km/h |
上昇限度 | 10,820m | 上昇限度 | 11,200m |
航続距離 | 926km | 航続距離 | 甲 1,296km 乙 600km+空戦30分 |
武装 | 甲 2*mg7.7mm2*mg12.7mm 乙 4*mg12.7mm | 武装 | 甲 2*mg7.7mm2*mg12.7mm 乙 4*mg12.7mm 丙 2*mg12.7mm 2*mg20mm or 2*mg12.7mm2*mc40mm and 1*bomb250kg |