海軍の七試水上偵察機の試作指示に応じて川西が製作した機体で、関口英二技師を主務とし、風洞実験に小野技師、水槽実験に浜田技師という陣容で作り上げた川西J型が愛知機を破って、昭和9年に九四式水上偵察機として制式採用となった。
本機のあと、川西の開発の中心は菊原静男技師にバトンタッチするので、関口技師主務で設計製作した制式機としては最初で最後のものとなった。
しかし、本機は大変な成功作であり、海軍に川西への信頼感を持たせたことでは大きいものがある。
二式大艇や紫電のような機体は、川西に海軍の信頼あってこそ大成したものであり、その基礎固めはこの九四水偵にはじまるのである。
複葉単発双フロートの三座水偵で、金属製骨組に胴体前部とフロートを除いて総羽布張りの構造。主翼は胴体から下ろした支柱の外側から後方に折りたたむ。
後席(電信手席)は、飛行中にはシャッターを閉じて開口部を塞ぎ、抵抗を軽減するようになっているのが特徴で、後方機銃を発射するときにはシャッターを機体側面に降ろして旋回銃座を露出する。
また、偵察員席の床には、やや射界が狭いが下方に向けて旋回機銃用の窓があり、前方固定機銃の装備と併せて、この種機体としてはかなり防禦武装に優れていると言えるだろう。
燃料タンクは胴体前部とフロート内部にあり、羽布張り機体ということもあって被弾にも比較的抗堪があると言えるが、いかんせん低速機であるから敵戦闘機に遭えばかなり危険である。
広廠製九一式500馬力発動機(ネピアー系のW型エンジン)を装備し、後期のロットでは馬力を向上した九一式600馬力に換装。
更に、空冷の三菱「瑞星」に換装され、これにより、九一式装備の機体を一号、瑞星装備の機体を二号と呼称することとなった。二号は昭和13年に制式化され、以後の主力となった。後に一号を一一型、二号を一二型と改称した。
長大な航続時間も大きな特徴で、一号(500馬力)で航続時間14時間、二号では11時間半にもわたって滞空することができる。もっとも、巡航速度が低いので航続距離としては驚異的というほどではないが、戦前に海軍の新田少佐の操縦で横須賀=バンコク間を無着水で翔破するという記録も持っている。
生産数は昭和9年から16年まで一号二号合計で471機に達し、準戦時とはいえ平時としてはかなりの多数機が作られている。
昭和13年からは生産は二号に移り、太平洋戦争に入ってからも、零式三座水偵が充足するまでの間、大戦初期には巡洋艦搭載の水偵や、水上機基地用として索敵・連絡に活躍した。
ニ線に下がってからも近海での対潜哨戒や船団護衛に終戦まで活動を続け、一部は特攻出撃も行なった。連合軍のコードネームはAlf(アルフ)である。
全幅 | 14.00m |
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全長 | 10.50m |
全高 | 4.55m |
翼面積 | 43.6m2 |
自重 | 1,984kg |
全備重量 | 3,000kg |
最高速度 | 276km/h(2,000m) |
巡航速度 | 185km/h |
上昇時間 | 3,000mまで9分6秒 |
上昇限度 | 7,060m |
航続距離 | 1,845km |
武装 | 7.7mm九二式機銃*2 7.7mm毘式機銃*1 60kgまたは30kg爆弾*4 |
発動機 | 瑞星一一型空冷星型14気筒870馬力 |
乗員 | 3 |