Ro.51は1936年のR計画による試作戦闘機のひとつである。
設計案は1937年にまとまり、試作機2機の製作が開始されたが、これらはかなり遅れて1939年春に完成する。
仕様に従って全金属製単発単座単葉引込脚ということになるが、本機の場合、脚はブレダBa.64/65に似た翼下にフェアリングを大きく張り出させた単純な後方引込で、評者によっては半引込とする者もある。
また、胴体は鋼管骨組にジュラルミン薄板張り、水平尾翼にも斜支柱があり、各社の参加機の中では最も保守的なコンポーネント構成となっている。
但し、プロペラはフィアット・ハミルトンではなく、ピッチ変更が速く変更角も大きい最新鋭のピアッジオ電動式をレッジアーネRe2000と並んで採用していた。このプロペラは試作機段階ではマッキMC.200も採用していない。(とはいっても1939年の段階では既にMC.200もピアッジオのプロペラに換装を終えてはいるが)
機体外形のラインも各社機と比べて全体に無骨で、あまりイタリア機らしくなく見えるが、これは設計者のジョバンニ・ガラッソの好みであろう。
機銃は胴体側面に装備され、エンジンカウリング側面のブラストチューブを通って発射される。
寸法、翼面積ともにMC.200と並んで小さく、本機はどちらかというと高速戦闘機を狙って作られたもののようだが、ギドニア実験場での審査の結果、速力でMC.200に劣り、運動性ではフィアットG.50、Re2000、カプロニ・ヴィッツォーラF.5に劣ってしまい、落選となった。
重量はMC.200よりわずかに軽く、寸法でほぼ同じなので、これは空力洗練の不足に原因が求められるだろう。丸一年の大遅刻にもめげず試作機を完成させ提出したにもかかわらず、その努力は報われなかった。
その後、脚取り付け方法から水上戦闘機への改造が容易と見られて、1940年に試作機の1機にフロートを装着して試験が行なわれたが、これもまた不採用となった。
全幅 | 9.78m |
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全長 | 7.46m |
全高 | 2.71m |
翼面積 | 16.40m2 |
自重 | 1,663kg |
全備重量 | 2,092kg |
武装 | ブレダSAFAT 12.7mm機銃*2 |
発動機 | フィアットA74 RC38空冷星型14気筒 828馬力 |
最高速度 | 489km/h |
実用上昇限度 | 8,200m |
航続距離 | 1,200km |