フィアットG50
1930年代後半に生まれた高速単葉戦闘機は何処の国でも皆、同じ様な物語を経験する。それはより旋回性能に優る旧式戦闘機との対比であった。フィアットG50もまた例外ではなく、傑作戦闘機CR32との比較に於いて搭乗員の支持を得られず、また試験投入されたスペイン戦争に於いてもCR32に実績で譲るという結果に終わり、高い評価を得ることが出来なかった。
そして、密閉風防を、搭乗員達の希望する開放式風防に改める等の改造を経ることとなったが、これは日本機も経験したことであり、笑う訳にはいかない。
中途半端な評価の中、G50は小改良を経つつ生産が続行され、一部はフィンランド空軍にも使用され活躍している。ソ連空軍との戦いで多くの戦果を挙げたフィンランド空軍エースの一人が戦後のインタビューに答えて「敵機がよく見える開放風防と操縦席背面のアーマーがあるG50は自分にとってベストの機体」と語っているように、当時の戦闘機 パイロットの感覚にとってG50は決して旧式機ではなかったのである。
また、G50はイタリア海軍の空母、アクィラ等に搭載する艦上戦闘機型も計画されており、比較的長い航続距離(1,000km)と安定性が評価されたのではないかと思われる。
不評と予算不足から生産は細々と続けられ、1940年6月のイタリア参戦時には108機しか配備されていなかったG50ではあるものの、1941年末に参戦した日本陸軍が装備していた隼より多いのだから実に立派、とも言える。
(文章:キソッタ・ホラスキーニ)
諸元 G50 bis
全幅 | 10.98m |
全長 | 7.80m |
全備重量 | 2,750kg |
武装 | 12.7mm 機銃*2 |
発動機 | フィアットA74RC 840馬力 |
最高速度 | 472km/h |
実用上昇限度 | 10,700m |
航続距離 | 1,000km |
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