CR.40はもともとフィアットCR.32と同時に提出された競作案のひとつである。
CR.32と同じくCR.30を母体とするが、発動機を軽量の空冷エンジンとし、胴体サイズも寸を詰め、また複葉の上下間隔を詰めて上翼を胴体に直接装着することで更に構造重量と空気抵抗を減少させるというのがそのコンセプトである。
ブリストル・マーキュリーIVを装着した試作機(MM.202)は1934年に完成し、上昇力は優れていたものの、総合性能でCR.32に及ばず、採用には至らなかった。
とはいえ、空軍は本機の研究は継続することにし、1935年には国産発動機であるフィアットA59Rを装着したCR.40bisを(MM275)試作発注しているが、こちらはエンジントラブルが解決せず、最大速度も350km/hどまりでやはり不採用となった。
また、1935年には武装強化によって性能低下しはじめたCR.32に対する性能向上案の研究がフィアットに内示され、すなおに馬力を向上させたCR.33、これまたすなおに軽量化を図ったCR.32quaterと並び、その解決法のひとつとして軽量のCR.40の機体をベースに大馬力空冷発動機を搭載する新型機を並行して開発することとなった。
これがCR.41で、CR.40の発動機を900馬力のグノームローン14Kfsに換装し、トルク増加に対する方向安定維持のために垂直尾翼を増積し、方向舵上部を延長した。
ナンバーは変ったがCR.40の改造機という程度なので完成は早く、試作1号機(MM207)は1935年中にロールアウトした。
引き続き、エンジン不調を解消したA59Rを装着した試作2号機(MM208)も完成したが、1936年に空軍の次期戦闘機調達計画がいったん単葉機に決まり(R計画)、審査は中断された。
しかし、その後すぐにスペインでのCR.32の活躍が伝えられると俄然息を吹き返し、1936年末から改めて熱の入った審査が再開されたものの、更に1937年になって、来年度(1938年)の新戦闘機要求に改めて複葉戦闘機の調達が盛り込まれることが内定し、またしてもCR.41の審査は中断されることになる。
CR.41母体では空軍の求める性能には達し得ないというのは、フィアット技術陣と空軍ギドニア実験部が等しく認めるところであった。
更に1938年5月23日付の正式な仕様書発行に伴い、CR.41の開発はCR.42の試作計画に道を譲り、完全に放棄された。
CR.40 | CR.40bis | CR.41 | |
全幅 | 9.30m | 同じ | 9.65m |
全長 | 6.90m | 6.96m | 7.42m |
全高 | 2.61m | 2.60m | 2.65m |
翼面積 | 20.90m2 | 同じ | 22.63m2 |
自重 | 1,050kg | 1,200kg | 1,457kg(MM208:1,310kg) |
全備重量 | 1,500kg | 1,700kg | 2,032kg(MM208:1,885kg) |
武装 | 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 7.7mmブレダSAFAT機銃*2 | 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 | 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 7.7mmブレダSAFAT機銃*2 |
発動機 | ブリストル・マーキュリーIV 空冷星型9気筒 525馬力 | フィアットA59 R 空冷星型9気筒 700馬力 | グノームローン14Kfs 空冷星型14気筒 900馬力(MM208:フィアットA59 R 空冷星型9気筒 700馬力) |
最高速度 | 388km/h | 350km/h | 381km/h〔405km/hという数字もあり〕(MM208:327km/h) |
実用上昇限度 | 8,500m | 11,500m | 12,000m |
航続距離 | 660km | 600km | 570km |
乗員 | 1名 | 同じ | 同じ |