レッジアーネCa.400
1935年にカプロニグループの傘下に入ったレッジアーネは事業拡大を図るべく、ヘッドハンティングによって1936年にピアッジオからジョバンニ・ペーニャ技師を引き抜いた。
そのペーニャ技師を設計主任として、同技師の前作である
ピアッジオP.32
を全面的にリファインした高速双発爆撃機である。このため、本機はP.32bisと呼ばれることもあるが、ピアッジオのP.32bisとは別機である。
基本的にはP.32と同様の全木製構造で、また高揚力装置をふんだんに適用した主翼動翼システムも継承していた。
改良の主眼は胴体のリファインと翼面積を1m
2
減らすことによる高速化にあった。
発動機はイゾッタ=フラスキーニのアッソXI RC40を装着していた。
試作機は1937年2月23日に初飛行を果たしたが、意に反して速力はフィアットBR20と変らず、カプロニ・ベルガマスキCa135よりも遅かった。
イタリア空軍は既に採用内定しているBR20に比べて特に優る点はないとして審査も行わなかったが、当時、大西洋横断郵便機に客船と同じように与えられていた「ブルーリボン」を奪取すべく、高速長距離郵便機として本機を改良の上使用することになった。
製作中の試作2号機はこれに合わせ、改造の上で完成、Ca.405Cと名づけられ、1937年5月19日に初飛行を行った。
Ca.405Cは更に胴体形状にリファインを加えたにもかかわらずやはり速度は向上せず関係者を失望させたが、案の定、同年8月20日〜21日にかけて記録に挑戦はしたものの全く平凡な成績に終った。
1938年には、試作機の発動機を本家ピアッジオのP.32bisと同じく、ピアッジオP.XI RC40に換装したが、これまた本家と同じく大して性能は向上しなかったばかりか航続距離は500km近くも低下し、採用の見込みは潰えた。
(文章:ダリオ・マナカジーニ)
Ca.400。エンジン換装後です
Ca.405C
諸元(Ca.400)
全幅
18.00m
全長
16.00m
全高
不明
翼面積
59.00m
2
自重
6,100kg
全備重量
8,700kg
武装
12.7mmブレダSAFAT機銃*1 7.7mmブレダSAFAT機銃*4 爆弾1,200kg
発動機
イゾッタ=フラスキーニ・アッソXI RC40 液冷V型12気筒 815馬力
最高速度
420km/h(5,000m)
実用上昇限度
8,000m
航続距離
2,500km
乗員
4〜5
[戻る]