ブレダ Ba.82

 1934年に出された単葉引込脚高速双発爆撃機の仕様に基く機体である。この計画はブレダ、CMASA、カント、フィアット、カプロニ・ベルガマスキ、ピアッジオの6社の競作となった。
 ブレダではアントニオ・パラーノ、ジュゼッペ・パンツァーリの両技師を設計担当に据えた。本機はブレダ社製として初めて全金属製応力外皮を採用したが、動翼は羽布張りとなっている。外見の印象は翼配置こそ低翼と肩翼で異なるものの、ほぼ同時期に両技師が手がけていたBa.88に似ており、特に胴体後部はよく似ている。
 武装は機首、背面、胴体後方下部の旋回銃というスタンダードな配置をとるブレダSAFAT7.7ミリ3挺であった。爆弾搭載量は正規で1000kgであるが、爆弾倉の容量には余裕があり、過荷重では1800kgを搭載できた。
 発動機はフィアットA.80 RC41である。この発動機は同社のBa.65やフィアットのBR.20などに装着されて悪評を買うことになる札付きであるが、この当時は最新鋭の爆撃機用大馬力エンジンとして期待の星ではあった。これにフィアット・ハミルトンの恒速プロペラを組み合わせる。
 高速機として離着陸性能を確保するため、フラップはスロッテッド式とされ、離着陸時には補助翼もドループエルロンとして使えるようになっている。
 原型機は1937年に1機のみ完成し、初飛行の前にミラノ航空ショーで室内展示された。宣伝は振るっており、最大速度は450km/h、着陸速度130km/h、ペイロード(燃料含む)は3400kg、上昇限度9500mと称され、当時高速爆撃機の代表として知られていたブリストル・ブレニムをはるかに上回る高性能機として話題をさらった。
 しかし、実際に飛ばしてみると初飛行から問題は続出した。
 エンジンの不調からクリーン状態での最大速度は425km/hで、まあこれでも相当たいした速力ではあるのだが、ブレダはどうにもトホホなメーカーで、Ba.65やBa.88で出たのと全く同じように、積載状態での速力の低下率の高さ、操縦安定性の不足は爆撃機として許容の限度を超えるものであった。
 他社の機体が比較的好成績を挙げていたこともあって本機はたちまち落選となり、試作機もこの1機のみしか作られなかった。

(文章:ダリオ・マナカジーニ)


ミラノ航空ショーでの機影。側面。

斜め前方。

機首クローズアップ。

諸元
全幅21.00m
全長14.00m
全高4.50m
武装7.7mmブレダSAFAT機銃*3 爆弾最大1800kg
発動機フィアットA.80 RC41 空冷星型18気筒 1000馬力
最高速度425km/h
巡航速度368km/h
実用上昇限度9,500m
乗員4名

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