イタリア空軍が1936年に出した砲兵観測/直協偵察機の要求に基くもので、同社のBa.65を母体とする。
試作は1937年に開始され、Ba.65と同じくアントニオ・パラーノ、ジュゼッペ・パンツァーリの両技師が計画を担当した。
基本計画はBa.65の低速特性を改善し、同時にSTOL性能を確保するため翼面積を20%拡大すること、観測員の視界確保のため主翼を肩翼に近い中翼配置とし、観測窓をその下に設けることの二つである。
観測席は操縦室床面より低くなることになり、これにより胴体深さが増すとともに、主翼コードも延びたため、全長もBa.65より長くなった。低速時安定性確保のため垂直尾翼は増積されている。
このような配置のため、複座機ではあるが本機は旋回銃を持たない。武装としては左右翼内に1挺ずつの12.7ミリブレダSAFAT機銃(各銃200発)、翼下に爆弾最大500kgが予定された。
また、翼配置が高くなったため脚を引込めることができなくなり、翼付根支持の固定脚に変更された。
主翼より前方は重心合わせのためにエンジン架位置を前進させた以外はほぼBa.65と共通で、発動機も同じくイゾッタ・フラスキーニK14を用いた。
しかし、試作機は製作に入ったものの、1937年に計画はキャンセルとなり、イタリア空軍は砲兵観測機としてはドイツのフィーゼラーFi156 を買うことにした。
結局この計画もすったもんだの末に実現しなかったのだが、Ba.75計画の中止は覆らず、Ba.75試作機には空軍のシリアルであるMMナンバーも与えられなかった。
Ba.75計画は後にBa.88となるMM.302の試作計画に振替えられてしまい、このため、MM.302は当初Ba.75として試作が始められることになる。
とはいうものの、ブレダ社ではとりあえず作りかけの試作機の組立を進め、一応1939年に完成させ、A・コロンベムの操縦で初飛行させるところまではこぎつけた。
推測ではあるが、カプロニ・ベルガマスキAP.1(Ca301)の先例があったように、あわよくば輸出用軍用機として大成させるつもりであったのかもしれない。
飛行特性そのものはたいへん素直で、Ba.65に見られたような悪癖もなかったと伝えられるが、なにぶんにも社内テストのみであったので全面的に信用するわけにもいかない。
結局、1940年のイタリア参戦によりそんなことをしている余裕もなくなり、本機の将来は潰えた。
全幅 | 15.50m |
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全長 | 11.20m |
全高 | 3.00m |
翼面積 | 36.15m2 |
自重 | 2,600kg |
全備重量 | 4,600kg |
武装 | 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 爆弾最大500kg |
発動機 | イゾッタ・フラスキーニK14 空冷星型14気筒 900馬力 |
最高速度 | 375km/h | >
巡航速度 | 300km/h |
実用上昇限度 | 7,000m |
航続距離 | 1,700km |
乗員 | 2名 |