イタリア空軍が1932年に出した、ロメオ(IMAM)Ro1の後継を求める要求に応じた多用途機である。
要求の策定には当時空軍部内で支配的であった戦略爆撃優位論に対して直接支援の必要性を説いていたアメデオ・メッツォーニ大佐があたり、正面決戦での地上攻撃機と、植民地戦争での迎撃戦闘機、(重爆撃機を補助するべき)軽爆撃機、更に偵察機を兼用できることが目指された。
このほとんど無謀とも見える多用途性追求には、1930年代前半の流行、イタリア財政の貧弱、更に空軍部内での反対勢力の存在などが影響しており、必ずしも一方的に批判しきれない面もある。
ブレダではアントニオ・パラーノ、ジュゼッペ・パンツァーリの両技師を以ってこの計画を推進し、1934年に試作機2機を完成、初飛行させた。
鋼管構造に軽金属及び羽布張り、片持式低翼単葉と、当時としてはかなり近代的な姿で完成したが、試作1号機(MM.249)は固定脚であった。
試作2号機(MM.250)は露出部分の大きい半引込式とはいえ一応引込脚を備えた単座機として完成した。
審査の結果、試作1号機の複座配置と2号機の半引込脚を組み合わせた折衷案が生産型として承認され、42機が発注されて1936年までに生産された。生産ロットによって発動機に違いがある(アルファ・ロメオ135とピアッジオIX)が、性能寸法ともにほとんど差がない。
また、同時に本機は暫定生産型とすることが決定され、ブレダには即時に近代化改修を行うことが命ぜられた。これがBa.65となって完成することとなる。
武装は翼内に12.7ミリと7.7ミリを左右1挺ずつ、後席に旋回銃として7.7ミリを1挺、胴体内爆弾倉も使って最大550kgまでの爆弾、または翼下に400kgまでの爆弾を搭載できる。爆弾倉内には小型爆弾の懸吊器がなく、100kg未満の爆弾は翼下爆弾架を使用する。
1935年から部隊配備となり、1936年にはスペイン戦争にも出征したが、これは短期間でBa.65部隊と交代している。
1939年の大戦勃発時には27機(3個スクァドリッリア)が在籍していてなお一線部隊にあり、第5及び第50ストルモに属していたが、1940年の開戦時までには引退して訓練や連絡などの二線級任務に就いていた。
以後は地道に地味な任務をこなし、1943年4月に最後の4機が老朽化のため廃棄された。
全幅 | 12.10m |
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全長 | 9.72m |
全高 | 3.00m |
翼面積 | 23.50m2 |
自重 | 1,260kg |
全備重量 | 3,034kg |
武装 | 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 7.7mmブレダSAFAT機銃*3 爆弾550kg |
発動機 | アルファ・ロメオ125 RC35 空冷星型9気筒 610馬力 ピアッジオ・ステラIX 空冷星型9気筒 610馬力 |
最高速度 | 349km/h(4,000m) |
巡航速度 | 280km/h |
実用上昇限度 | 7,000m |
航続距離 | 900km(フェリー:1,200km) |
乗員 | 2名 |