1936年のR計画に基づく試作単葉戦闘機のひとつである。
マッキの子会社として1935年に設立されたばかりの弱小メーカーであったアエロナウティカ・ウンブラ.SA社では、一発当てようとR計画に自社案を提出した。
これがA.U.T.18で、フェリーチェ・トロヤーニ技師が製作の指揮をとった。(AUはAeronautica Umbra、TはTrojani)
全金属製単葉引込脚に密閉風防を備える近代的な外見で、他社が小直径を好んでフィアットA74を軒並み採用しているのに対し、大馬力を選んで爆撃機用のフィアットA80を搭載しているのが最大の特徴である。
また、他社の試作機は全て機銃を機首(胴体)に備えたが、本機は翼内銃として装備していた。
空軍は設計審査の結果、1936年夏にMM.363のナンバーで試作機1機を発注したが、アエロナウティカ・ウンブラは自主的に3機を製作することにした。これらは1939年初めまで完成せず、初飛行はジョバンニ・ロッカートの操縦で1939年4月22日となった。
7月20日には空軍のギドニア実験場に移って飛行審査が開始されたが、本機が他社の機体、特にフィアットG.50、マッキMC.200、レッジァーネRe2000に比べて劣ることはすぐに明らかとなった。
大型の爆撃機用エンジンを搭載しているにもかかわらず速度性能は十分でなく、かえって燃費の悪さを印象づけた。運動性は悪くはないが特に優れているものではなく、他社機に比べれば劣っていた。上昇力も鈍く、4000メートルまで5分10秒、6000メートルまで8分12秒とかなり物足りない。
これらの低性能は機体側の設計不備もあったのであろうが、おそらくその大部分はフィアットA80自体の問題に起因するものと思われる。このエンジンを採用した機体は他にブレダBa65、フィアットBR20・・・といえば何となく想像がつくかもしれないが、公称1000馬力とはいうものの設計のバランスが悪く、全運転域できちんと回転を規正して実馬力を出させるのは極めて困難な発動機なのである。
また、翼内装備の機関銃は集弾性が良くないと評価された。
アエロナウティカ・ウンブラとしても頼みであった速度性能が出ないことは不本意であったとみえて、エンジンカウリングを絞りプロペラスピナーを追加した改修機を1940年11月に完成させたが、この程度で劇的な改善が得られるはずもなく、制式化は結局見送られた。
全幅 | 11.76m |
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全長 | 8.75m |
全高 | 2.88m |
翼面積 | 18.70m2 |
自重 | 1,960kg |
全備重量 | 2,480kg |
武装 | 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 |
発動機 | フィアットA80 RC41 空冷星型18気筒 1044馬力 |
最高速度 | 480km/h(5,000m) |
巡航速度 | 445km/h |
実用上昇限度 | 9,200m |
航続距離 | 800km |
乗員 | 1名 |