Photo: Courtesy of N. Asakura
さて、そもそもフランスの飛行機は、実に面倒にバージョンアップを繰り返すことが 多く、これはどこかの巨大ソフト会社を思わせるが、このポテ630シリーズに関して いえば、大雑把に分けても5つのバリエーションがある。いずれも傑作機とはいえな いが、地味ながらしぶとく活躍し、生き残った。 1 Potez 630 エンジンはイスパノスイザ 2 Potez 631 エンジンはノーム・ローヌ いずれも乗員数は2人もしくは3人、夜間戦闘にも用いられた 3 Potez 633 乗員2名の軽爆撃機 4 Potez 637 乗員3名の偵察機、胴体下面に観測用ゴンドラが付いている。 5 Potez 63.11 乗員3名で、陸上部隊の支援機もしくは偵察機。機首のデザインが大きく変更された。 デザインはこれが一番かっこいいと思う。初期型はプロペラが2枚型、その後3枚 になる。 2と5は、フランスの模型メーカーからスケールモデルが販売されており、今も入手 することができる。 本当はバリエーションはもっとある。例えば、Potez 631 C3といえば、Cは戦闘機( Avion de Chasse)を表すCで、乗員は3名ということになる。が、あまりにも煩雑な ので、これは私が執筆中の別文でご紹介することとしたい。フランス人は特にそうだ と思うのだが、数字や略号が好きである。それは実に面倒なのだが、読み方さえ覚え れば、簡単に飛行機の任務や乗員数などがわかるようになっている。ある意味、非常 に合理的であるといえるかもいしれない・・・とういうのはウソで、国営化も全部の 会社が対象にはならなかったし、機体の表記もルールにあわないものがある。まあ、 そういうものなのだ。 この一連のPotez 63シリーズの特徴はいくつかあるが、共通して特筆すべき事項は、 生産工数が少なくてすむということである。比較材料として単座戦闘機のモラーヌ・ ソルニエM.S.406をあげると、その半分の済むのである。これはとても重要なことだ 。戦時下でどれだけ補充ができるかにかかわってくるからである。 また、上記のように様々な用途にこの機体が使うことができたのは、設計がシンプル で、良くできていたということによる。ことに練習用の機体としては誠に良くできた 機体であったようで、操縦性は非常に素直だったとのことである。偵察任務でドイツ 空軍のBf109に追いかけられた時にも、傷つきながらも何とか生還することができた 。そして、第2次大戦を通じて、第一線で戦い続けた、フランス人には忘れることの できない名機なのである。 さて問題は外観である。外観がドイツ空軍のBf 110によく似ていること。この似てい るという点が大変な問題で、実は見方の航空機に攻撃されたり、見方の対空砲火によ って墜落したケースが実に多いのである。誠に情けないことである。 具体的な情報が必要だろうか?では記そう。Potez 637 C3の14号機(偵察飛行団II/ 33に所属)は第1次大戦の激戦地ヴェルダンにほど近い場所で、1939年12月21日に2 機のホーカー・ハリケーンに撃墜されている。この時、乗員の一人は死に、一人は何 とか落下傘で降下することができた(3人用なのに2人で載っていたようだ)。逆の ケースもある。1940年5月21日、G.C. II/3戦闘飛行団のドゥヴォアチーヌD.520に登 場していたアルクール少尉は、夜間飛行隊E.C.N. 2/13のポテ630に攻撃をしかけた。 ポテは自分たちの命を守るために反撃し、D.520は墜落した。 これはまだ戦争初期の頃で、まだフランスは2つに別れていなかった。ドイツに占領 されたフランスの傀儡政権「ヴィシー政府」と対立する自由フランス空軍は、まった く同じ機体で戦闘することになる。それはどうしてもまずいだろうということで、ヴ ィシー政府のフランス機は、赤と黄色の派手な識別用の彩色をし、胴体に白い矢印を 施している。(私はこれを勝手に「みつばちハッチ」と呼んでいる。) それぞれのポテの詳細な戦歴はここには書ききれない。それぞれの搭乗者のそれぞれ のポテがあるだろう。だからここには、いささか味気のない情報の羅列を記すことし かできないのをお許し願いたい。 <誕生> 1934年10月31日、フランス空軍省(ミニストル・ド・レール)は「複座で軽装備の防 空用軍用機(ミュティプラス・レジェール・ド・デファンス)」プランを告示した。 これは、さかのぼって1934年7月13日に同省が発表した単座戦闘機プランに追加され たものである。 このプランでは、「複座で軽装備の防空用軍用機」は3つの用途に利用できるものと された。 (1)複座戦闘機 (2)昼間対地攻撃・支援機 (3)夜間戦闘機 競争者は沢山いた。アンリオ H.220(後に600になる)、ロワール・ニューポール( 決してニューポートとは読んではいけません!)Loire-Nieuport 20、ロマーノ Romano 110、ブレゲー690(エレールの模型では生産型の693)である。 空軍省は各々の会社に、自費で試作機を作るように命じた。そして、一番最初に完成 したのが、ポテ630だったのである。初号機(笑)の初飛行はテストパイロットのニ コル氏により1936年4月25日に成功。そして、それから間もない5月6日、着陸に失敗 して機体は損傷したが、緊急で修理が行われ、ヴィラクブレーに運ばれた。そこで細 部に改修を施したあと、ヴィラクブレーにあるC.E.M.A.(航空機材研究所)に12月下 旬に運び込まれた。国が公的なテストをするためにである。またまた細部に修正を施 された後、武装の試験をするためにカゾー(Cazaux)に運ばれた。 この時点での最高速度は、高度5000メートルで460km/hで、高度4000メートルまでの 所要時間は5分56秒であった。 この航空機を製作するために、国営化された国営北部航空会社(S.N.C.A.N.:ポテ社 もここに吸収された)での同機の生産ラインが準備されはじめ、のべ5496人が雇用さ れた。この間に。2番目の試作機が631-01として設計された。エンジンはイスパノス イザ14Ab系から、570馬力のノーム・エ・ローヌに換装された。631-01の初飛行は 1937年5月初旬である。この試作機も着陸で問題が多かった。そして、いよいよ制式 機となるべく1937年11月にヴィラクブレーに運ばれた。 (この項続く) |