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ラテコエールLate298

 フランス海軍航空隊(アエロナヴァル)が1933年に出した、多目的高速水上雷撃機の仕様に従って製作された、全金属製の単葉双フロートの水上機。

 流麗なデザインで、文句ナシにカッコイイ。日本海軍の単葉水上機に比べても遜色ない。
 ただ、見た目から予想されるほどには速度は速くなく、290km/hとかなりの低速である。
攻撃任務の場合は乗員2名、偵察任務の場合は乗員3名で運用する。
 670kg 26DA航空魚雷1発、または最大3発までの爆弾・爆雷(500kg)を、胴体下の半埋込式のハードポイント(このため、胴体の深さが大きく、垂直尾翼が比較的小型でも方向安定が良好なのだと推測される)に装備できる。
 また、照明弾9発を持って艦隊の夜戦支援任務にも就く。
 偵察任務の場合、後部胴体にカメラを据えることができ、偵察員が手動で操作する。
 固有武装は7.5ミリのダルヌ機銃で、機首上面に固定銃2挺、後部旋回機銃1挺である。

 1936年5月6日に初飛行し、9月には実用試験に入って、翌37年8月10日付で制式採用、第一次発注分の運びとなっている。このへんは当時のフランス機としてはかなり順調と言えるが、試作機の出来の良さとともに、本機が空軍機でなく海軍機であったあたりも寄与しているだろう。
 Late298Ax24機、298Bx12機の発注を皮切に、その後すぐにB型35機が追加され、1939年の開戦時には水上機母艦コマンダン・テストに2個飛行隊(HB1/HB2艦上攻撃飛行隊)ベール所在のT1雷撃飛行隊、シェルブール所在のT2雷撃飛行隊の4個飛行隊で実戦配備にあり、開戦と同時にD型106機を追加、ドイツ軍のフランス侵攻開始までには海軍の8個飛行隊に配備されていた。

 注目すべきは、水上機母艦に配備されていたということである。この2個飛行隊両方を搭載したコマンダン・テストは雷撃隊24機を編成できるということになる。
 コマンダン・テストはカタパルトを4基有しており、24機の全力出撃もさほどの困難はなさそうである。
 洋上での多数の水上機の回収には問題が残るが、攻撃隊を味方水上機基地に向かわせ、索敵機を巡洋艦搭載機に頼れば、この編成での作戦運用は十分に可能と考えられる。
 フランス海軍は、ほとんど無能であったと信じられる空母ベアルン以外に、意外なところで有力な洋上打撃航空兵力を有していたのである。

 開戦時からLate298は沿岸哨戒に就いたが、西方電撃戦が開始されると、進撃するドイツ地上部隊への阻止攻撃に投入され、イタリア参戦後は短期間ながらもマルセイユ所在の飛行隊がプロヴァンスに侵攻しつつあるイタリア軍に対し猛烈な攻撃を仕掛けた。
 これが、低空での運動性の良さ、被弾に対する頑丈さから、低速の下駄履き機にもかかわらず、予想外にかなりの活躍を見せ、その双方に欠けるLN401/411急降下爆撃機よりも有効な兵力と判定された。

 休戦後はイギリスに脱出した1個飛行隊を除き、ほとんどがヴィシー政府側に残り、南フランスと北アフリカ及びシリア・レバノン方面で任務を続行した。
 ヴィシー政府は新たにF型をブレゲー社に70機追加発注さえ行なっている。(全てが完成したわけではないようである)

 トーチ作戦後は連合軍側で2個飛行隊が作戦に参加し、戦後は46年1月までボーデン湖に1個飛行隊(3S哨戒飛行隊)が展開し警察任務についたほか、50年まで水上雷撃飛行隊に配備されてフランスの沿岸防備兵力の一翼を担っていた。
 最後の機体は51年に用廃となった。


298A 原型機の風防の形状を改めたのみの初期生産の基地用型。24機+増加試作機5機
298B A型の主翼を折りたたみ式とし、後席(中央席)に操縦装置を追加して冗長性を高めた艦載機型。42機。
298D B型の主翼折りたたみを廃した汎用型。ハードポイントに増槽の配管を追加。106機。
298E D型の攻撃兵装を廃し、胴体下に偵察ゴンドラを設けた偵察専用型。試作1機のみ。
298F D型の副操縦装置を廃したもので、仕様としてはほぼA型に戻ったものと言える。発注70機だが完成機数は不明。おそらく30機程度。

(文章:まなかじ)


シャッタースライド式の操縦席キャノピーに注目

諸元(Late298D)

全幅15.51m
全長12.56m
全高5.25m
翼面積31.60m2
自重3,070kg
全備重量4,600kg
最大速度287km/h(2,000m)
実用上昇限度6,500m
航続距離1,000km(増槽装備偵察時2,000km)
武装ダルヌ7.5mm機銃3挺(前方固定*2 旋回*1)
670kg魚雷*1 or 500kgまでの爆弾または爆雷*最大3
発動機イスパノスイザ12Ycrs-1 液冷V型12気筒880馬力
乗員2-3名

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