VL ピョレミルスキ

 正しくはPyörremyrskyと綴る。
 フィンランド空軍の本命次期戦闘機として、1942年11月26日に2機の試作指示が出された。ミルスキI が絶不調にあえぎ、フムの計画が滑りだしたばかりのところではあるが、隣国スウェーデンがDB605を手に入れたのと同じ頃、フィンランドもまたDB605を装着する高性能戦闘機の計画に着手したわけである。
 スウェーデンのJ21が双ブーム推進式というけったいな機体であったのに比べ、ピョレミルスキはごくオーソドックスな形態の低翼単葉戦闘機である。
 前部胴体は鋼管フレームにジュラルミン及び合板張り、後部胴体と主翼は全木製という構造で、主翼は単桁式。機首部分はBf109Gの部品をかなり流用している。両翼下には増槽又は100kg爆弾を懸吊できるラックが設けられる。武装は機首上面の12.7mmLKK/42機銃2挺と、モーターカノンとして装備されるモーゼルMG151/20機関砲1門。
 Bf109Gよりもより多用途であり、また運動性に優れることが求められたため、翼面積はやや大きくなっている。
 計画では試作機の完成は1944年5月と予定されたが、国営工場はミルスキ、フム、メルケモランの開発、フォッケル(フォッカーD.XXI)の生産、更には破損機の修理再生で多忙を極め、計画は最優先で進められたものの大幅に遅れてしまい、1944年9月4日の対ソ休戦までに機体は完成せず、いったん計画は中止となってしまう。
 これが再開されたのは1945年1月のことで、1号機(MY-1)は当初予定のDB605A-1に代り、Bf109Gの1機から取り外してきたDB605AC(プロペラ込み)を搭載して1945年秋にようやく完成、同年11月21日に初飛行を行った。
 しかし、ドイツは既に敗れてエンジン供給の見込みはなく、またそもそもフィンランド空軍は国産新型機を必要としなくなってしまっていた。狙いどおりに大きな翼はBf109Gよりも軽快で良好な操作性と運動性、そして高空性能をもたらしたが、それは確認されたというだけにとどまった。
 MY-1は1947年5月22日までにわずか27時間の試験飛行をこなしたのみで除籍された。機体はティッカコスキのフィンランド中央航空博物館に展示されている。

 
(文:まなかじ)


諸元
全幅10.38m
全長9.13m
全高3.89m
翼面積19.00m2
自重2,619kg
全備重量3,310kg
最高速度522km/h(海面) 620km/h(6,400m)
上昇時間5,000mまで4分30秒
上昇限度11,250m
航続時間1時間30分(増槽使用2時間24分)
武装20mmMG151/20機関砲*1 12.7mmLKK/42機銃*2 100kg爆弾*2
発動機ダイムラー・ベンツDB605AC 液冷倒立V型12気筒1,475馬力
乗員1名

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