フィンランド空軍でのバッファロー(ブリュースターB-239「ブルーステル」)の活躍ぶりは知る人ぞ知るものだが、1941年の空戦の成績を見て、すっかりこの戦闘機に惚れ込んだフィンランド空軍は、ついにブリュースター社に無断で「空の真珠」B-239のコピーを製作することを決意する。
1942年夏の空軍の注文に応じ、タンペレの国営工場で設計が開始された。
胴体は概ね原設計を踏襲するが、主翼は材料の不足と技術上の不安から木製とされることになった。
これにより、翼の機銃と燃料タンクは廃止となり、B-239では7.62mmであった機首上面の固定機銃を国産の12.7mmLKK/42に強化することにし、胴体内タンクの容量を増して航続距離の低下に備えた。
木製の主翼はまず国産練習機ピリーに装着されてテストを受けることになる。
エンジンは墜落したソ連機から分捕ったシュベツォフM-63が使われることになった。これは原型の搭載していたR1820-G5とほぼ同等のサイズと僅かながら大きい出力を持ち、また既に保有ブルーステルの数機に装着されて好成績を挙げており、採用に問題はないものと考えられた。分捕り品とはいえI-16及びI-153が載せていたエンジンでもあり、そこらじゅうに落ちていたので在庫の方も心配はなかったのである。
空軍が当初予定していたのは試作機4機に量産機90機という、フィンランドとしては破天荒なまでに野心的な大量産計画であった。しかし、1943年9月にはフムが原型に対していろいろな面でかなり劣る機体になることが決定的となり、しかも開発進行は予定よりも1年近くの遅れを見せていたことから計画は下方修正され、試作機5機を含む生産数55機という線で落ち着いた。
それでもなお開発は遅々として進まず、ついに1944年6月17日を以って、正式に計画は中止となった。ソ連空軍の新型戦闘機の性能の向上は著しく、もはやブルーステルの劣化コピーを作ったところで大した意味はないと判断されてのことであった。
試作1号機(HM-671)だけはとりあえずカタチになり、武装や照準器を取り付けないまま、1944年8月8日に初飛行を行った。ソ連との休戦はあと1カ月後に迫っていた。
HM-671は1945年1月1日付で空軍から除籍されているが、スクラップを免れて現存しており、ティッカコスキのフィンランド中央航空博物館で見ることができる。
全幅 | 10.67m |
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全長 | 8.03m |
全高 | 3.66m |
翼面積 | 19.4m2 |
自重 | 2,050kg |
全備重量 | 2,895kg |
最高速度 | 430km/h(4,600m) |
上昇時間 | 4,000mまで5分00秒 |
上昇限度 | 8,000m |
武装 | 12.7mm LKK/42機銃*2(実機には搭載されず) |
発動機 | シュベツォフM63 空冷星型9気筒1,000馬力 |
乗員 | 1名 |