ディーゼルエンジンを装備した、大戦前までのドイツ空軍主力爆撃機。 後に高々度偵察機として活躍。 1933年初頭、ドイツ空軍はルフトハンザ航空と協同で、旅客機 兼 爆撃機の試作指示を ユンカース社に対して出しました。 できあがった機体はオーソドックスな双発機でしたが、その動力としてディーゼルエンジンである Jumo205を装備、これは航空史上、非常にまれなことでした。 また、このエンジンは、極めて独創的な構造を持っていました。すなわち、 1本のシリンダの上下からそれぞれ別のピストンが挟み込むようにストロークし、 両ピストンが上死点に達した瞬間に着火、爆発するような仕組みをとっていました。 したがって、気筒が6であるのに対し、ピストンは倍の12ありました。 このディーゼルエンジンは、優れた燃費性能を示した上、燃料も精製度の低い 軽油であるという利点がありましたが、反面、エンジン自体が重くなり、 その点で軍用機には不向きであるとも言えます。 本機は1935年12月から、軍用型「A」と民間型「B」両方の量産が始められ、 1936年12月からは輸出型も製作されました。 1937年末からはスペイン内乱に投入されましたが、すでにこの時点で出力不足が指摘されており、 空冷星型のBMW132を搭載したE型の出現を促しました。 そんなわけですから、第二時大戦時にはすでにすっかり旧式化しており、主力爆撃機の座はHe111に 奪われ、主に後方任務に使用されました。 しかし、高々度偵察機化する計画が持ち上がり、エンジンを同系列でありながらターボ過給器を装着して 高々度性能を向上させたJumo207に換装、これが良好な成績を示し、P型の量産が開始されたのです。 このタイプは、連合軍機の到達できない高度を飛行することから、 しばらくの間は全く撃墜されることなく任務をこなしていました。 しかし、応急的に機銃や防弾装置を減らすなどの軽量化対策を行ったスピットファイアが製作され、 さらにスピットファイアはMk6やMk7などの高々度型が製作されて、ついに1942年8月には撃墜される機体が出たため、P型は同年12月に退役しました。 しかし同時に、GM-1を使用したJumo207Bを装備し、翼端をさらに延長して14,800mの高度まで到達可能なR型の登場を促し、 この型は1944年まで使用されました。 |
諸元 | D−1 | P−1 | R−1 |
全幅(m) | 22.5 | 25.6 | 32.0 |
全長(m) | 17.6 | 16.46 | → |
全高(m) | 4.7 | → | → |
翼面積(u) | 82 | 92 | ? |
自重(s) | 5,355 | 6,660 | 6,786 |
全備重量(s) | 8,050 | 10,400 | 11,540 |
エンジン |
ユンカース・ユモ 205C−4 液冷ピストン対抗6気筒 600馬力×2 |
ユンカース・ユモ 207A−1 液冷ピストン対抗6気筒 680馬力(9,750m)×2 |
ユンカース・ユモ 207B−3 液冷ピストン対抗6気筒 750馬力(12,200m)×2 |
最大速度 | 300q/h(海面上) | 360q/h(6,000m) 300q/h(12,000m) | 423q/h |
巡航速度 | 275q/h(1,000m) | 260q/h(11,000m) | ? | 実用上昇限度 | 5,900m | 12,000m | 14,800m | 航続距離 | 1,500q(補助燃料タンク使用) | 1,000q | 1,746q |