現代でも技術的に難しい前進翼機を第二次大戦中に実現させたという、史上初のジェット 前進翼機。 ユンカースのハンス・ウォッケ技師は1943年に高速ジェット爆撃機を設計するに あたって、1935年にブーゼマン教授が発表した後退翼理論を検討していった結果、 翼端失速と方向安定の問題から主翼に前進翼を採用することを決めました。 前進翼には、いったん主翼端が持ち上がり始めると、それが増加される方向に作用する、 いわゆるダイバージェンスという悪癖がありますが、ウォッケ技師は主翼の剛性を高める ことでこれを回避できると考えました。 1944年8月16日に初飛行した1号機は主に前進翼の特性を計るために製作され、 主翼上面に糸を張り、それを垂直尾翼の前に備え付けたカメラで観測するということが 行なわれました。低速試験では良好な特性を示したものの、高速の急降下試験になると、 やはりダイバージェンスの傾向が現れ、そのために主翼下面のエンジン位置などが再検討 されました。 本機は1945年1月の空襲で破損し、そのまま終戦を迎えました。 この機体の一番特筆すべきところは、別の機体からパーツを寄せ集めて製作された という点でしょう。まず、胴体がHe177、尾翼がJu388、主脚はJu352から、 そして前脚はなんと!不時着したアメリカのB−24爆撃機の主脚を使用しているから 恐れ入ります。全くの自前は本機の最大の特徴である「前進翼」の主翼のみというのも かなり笑える話です。 しかし、これは製作を急いだ1号機だけの話で2号機以降は通常の引き込み脚とし、 機体自体もオリジナルのものとなる予定でした。 |
諸元 | V1 |
全幅(m) | 20.11 |
全長(m) | 18.30 |
翼面積(u) | 58.30 |
空虚重量(s) | 12,510 |
全備重量(s) | 20,000 |
エンジン | Jumo004 ×4 |
最大水平速度 | 559q/h(6,000m) |
急降下最大速度 | 650q/h |
着陸速度 | 190q/h |
失速速度 | 170q/h |
実用上昇限度 |
10,800m |
最大航続距離 |
1,500q (増槽タンク使用時) |