フリート60 フォート

 フォートは、純粋なカナダ国産機として唯一第二次大戦中に量産された軍用機である。
 設計は1938年から自社開発で開始されており、原型は1940年3月22日に初飛行している。
 近代的な全金属製セミモノコック構造の低翼単葉機(各動翼は羽布張り)であるが、いくつかの興味深い特徴を持っている。
 まず外見的に目に付くのは胴体側面から翼に出した支柱と左右一つながりの昇降舵、特大の後席キャノピーであるが、まあ、これはデザイン上のことである。
 エンジンは空冷星型であるが、その前面全てを蔽う蓋がついている。カナダの寒冷な気候に合わせた装備で、これは前後に可動し、適度な冷却空気を取り入れることができる。
 プロペラはハミルトン・スタンダードの恒速式二翅。
 垂直尾翼は構造強化されており、転覆時のロールバーを兼ねる。
 更に興味を引くのは主輪スパッツで、飛行中には数十センチだけ引き上がる。というのは、固定脚のフォートで引込脚操作の手順にも慣れてもらおうという意図があってのことだったそうである。
 引下げ操作を忘れても安心であるとカナダ人は自画自賛しているが、何も実際にそんな中途半端なギミックまで付加しなくとも、擬似装置で間に合うような気もするのだが…

 原型機はカナダ空軍の審査に一発合格し、特に改正もなくそのまま200機の量産発注がなされたが、フリート社の生産設備が貧弱であったために量産機は1941年4月まで工場を出てこなかった。
 カナダ空軍はそれまでに100機をキャンセルしてしまう。
 これは主として予算配分上の問題であったのだが、この処置は間違っていなかったことが後に判明する。
 というのは、フォートの操縦があまりに容易であるために中等練習機としての意味合いが薄いことが運用してみてわかったのである。
 フリート・フィンチあるいはデハビランド・タイガーモス、フェアチャイルド・コーネルといった初等練習機から直接ノースアメリカン・ハーバードへ行っても困らないというか、間にフォートを挟む意味がないというのである。
 それどころか、ヘンに間にフォートのような簡単な飛行機を挟むと実用機に慣れるまでに却って時間がかかるとまで判定され、フォートの立場は完全になくなってしまったのである。
 フリート社としては泣くに泣けないような理由であるが、これにより、フォートは原型を含む101機が1942年6月までに納入された時点で打止めとなり、既に納入された分は無線手訓練のために改造されてMk.IIと呼称された。

 Mk.IIは、意味がなくなった可動スパッツを完全に除去し、後席を前席を背中あわせに改めて胴体後部に各種無線機器を詰め込んでいる。外見上は胴体上面に方向探知ループアンテナが出ている点でMk.Iと明らかに識別できる(水滴状フェアリングに収めてある機体もある)
 これらはカルガリーの第2無線学校とウィニペグの第3無線学校で1945年いっぱいまで使われ、1機を残して全機が1946年1月に除籍された。

 従って量産されたフォートはこの101機のみであるが、フリート社としては一応初等練習機から高等練習機までフォートで行わせる腹積りで、初等練習型60LはジェイコブズL-4M 250馬力、高等練習型60はジェイコブズL-7 360馬力を装備する予定であった。
 同系列のエンジンの馬力変更だけで何とかしようという安直な計画であるが、うまく行きさえすれば機材共通化という点では文句ない。
 とは言えそんなにうまく行くわけもなく、初等練習機としては高価に過ぎ、高等練習機としては性能不足であった。これらの変型はそれぞれ1機ずつ自社リスクで製作されたものの計画倒れに終わった。

(文:まなかじ)

Fort Mk.I
原型機です。特徴的なエンジン蓋、前縁直線・後縁楕円の翼平面型がわかります。
Fort Mk.II
Mk.Iです。主脚スパッツは外されています。見づらいですが低圧タイヤを履いているのがわかります。

諸元(60K フォートMk.I)
全幅10.97m
全長8.18m
全高2.51m
翼面積20.07m2
自重1,150kg
離陸最大重量1,600kg
最高速度261km/h(SL)
巡航速度217km/h
上昇限度4,600m
航続距離970km
武装なし
発動機ジェイコブズL-6MB 空冷星型7気筒 330馬力
乗員2名

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