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戦記物の小説で光信管という単語が出てきたのですが、この光信管がいまいち良く分かりません。VT信管のように使える信管なのでしょうか?お願いします。 黛 |
- 戦記物と言うのが、二次大戦当時の実話なのか、いわゆる架空戦記なのか、
現代の話か、近未来の話かによっても違ってきますが。
VT信管の電波の代わりに、光を使う近接信管は実在します。
例えばサイドワインダーAAMは、初期には赤外線近接信管(パッシブ)も使っていましたし、
AIM-9Lではアクティブのレーザー近接信管を採用しています。
便利少尉
- 私も以前質問したことがあります。
多分光電管のことだと思うので、「光電管」サイト内を検索してみてください。
石川ちゃん
- 太平洋戦争時です。すいません光電管で出ました。夜間に使用と書いてあるのですが日中には使用できないものなのでしょうか。
黛
- 光電管信管爆弾は弾頭部に装備したライトの反射光に感応する方式で、ライトはごく普通のものですから、日光の反射光がたんまりある日中に使用する為には、日光より強い光を放つライトを装備するか、特殊な光(それこそレーザーとか)を発信し、かつ感光部もそれに応じたものにする必要があります。
T216
- 失礼します。便乗質問なんですが、光電管信管爆弾について資料が少ない気がするんですが、やはりあまり戦果がなかったのでしょうか?
あと、技術的に結構難しそうに感じるんですが、すんなり開発できたんでしょうか?当時の日本の技術力を考えると、すごいハイテク兵器に思えてしまうんですが…(すいませんエレクトロニクス技術には疎いので)
石川ちゃん
- > 5.
光電管爆弾、正式には三十一号爆弾ですが、渡辺洋二氏の著作によると三十一号爆弾の実用試験終了は昭和19年8月、実施部隊への本格的配備が昭和20年3月から(昭和19年末にフィリピン戦に投入されたこともあるそうですが)と比較的遅い上に投入されたもの沖縄戦やマリアナのB-29基地攻撃が多く、使用目的も「駐機されている機体やその他機材、人員への攻撃」というどちらかというと地味なものなので、余り目立たないのではないかと思います(例え戦果を上げても「空母撃沈」みたいな派手なものではありませんし)。
また、この頃の攻撃法は夜間攻撃が多く、戦果確認も難しかったでしょうし、物量差が大きすぎて、少々地上撃破されても米軍にとっては大きなダメージにならなかったのではないかとも考えられます。
因みに米軍の場合、光電管爆弾と同様な目的に使用する爆弾にはパラシュート爆弾の弾頭に細長い棒をつけ、棒の先が地上に触れると起爆するという比較的単純なものだそうですから、それと比較すれば光電管爆弾は遙かに「ハイテク」といえるでしょう。
丸メカの零戦によると、光電管爆弾の開発名称は「十八試三十一号爆弾」だそうですから、一年ちょっとで開発したことになります。
恐らく開発担当の方は大変な苦労されたと想像できますが、機構の複雑さから考えると比較的短期間に実用化されたのではないかと思います。
T216
- 沢山の詳しい情報ありがとうございます。日中に使うには難しくしかも夜間攻撃の際には戦果確認が難しい爆弾。士気が落ちそうですね。まあ戦果の過大評価がつきものの戦争ですから士気云々は関係ないかもしれませんね。
黛
- > 7.
夜間爆撃の戦果か確認が難しいのは別に光電管爆弾に特有の現象ではありません。
空中で炸裂する光電管爆弾は、地上の機材や人員にとって通常の爆弾より被害半径が大きいので、投下する側にとっては「当てやすい」爆弾と言えます。
とはいっても、夜間では火災を発生させないと戦果が確認しにくく、かつ火災が発生しても何が燃えているかを空中から確認するのは極めて困難ですから(運が良ければ炎によるシルエットで「飛行機らしきものが燃えていた」程度のことは判るかもしれませんが)。
むしろ「当てやすい=戦果を挙げやすい」光電管爆弾は、搭乗員から歓迎されるのではないかと思います。
T216
- 光電管爆弾の戦果について、
光電管爆弾八十番がサイパン夜間攻撃に使用されたらしいという話は航空ファン何月号か失念「ww2日本陸海軍飛行部隊史番外編」秋本実氏著に詳しく載っていますが、この時は戦果はあまりなかったようです。
その後の沖縄戦では陸軍機も装備して出撃しています。私が聞いた記憶では20年8月6日、沖縄海域の飛行場を爆撃、36機撃破という大戦果を挙げたことがありました。沖縄戦時の夜間爆撃の戦果確認は翌早朝に気象偵察を兼ねた偵察機が撮影した航空写真で判読していました。
フジクラ001