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大岡昇平が自身の体験を書いた「俘虜記」に、陸軍の手榴弾の四個に一個が不発だったという事を書いています。この数字はどれくらい正確ですか? 3/4の信頼性というのはちょっとひどいように思えるんですが。 Yp |
- 大岡昇平氏が大戦末期のフィリピインで紛れも無く日本兵であり、『俘虜記』がほぼ事実を元にして書かれ、正確を期すため撃たなかった米兵との距離を十間としたり十五間と直したり、再々の改訂を行っており、元日本兵の記述として手榴弾の不発率について証言した、まあまあ一次史料並と見て良い部類の記述ではないのでしょうか?
ただ、1970年に大岡氏の口述筆記を整理した『戦争』という本のP158〜P159に、手榴弾の不発について以下の記述があります。
『これは一たん沈んだ船の手榴弾を引き上げて配給したということがあって、不発弾が非常に多かったそうですよ。で、ぼくの手榴弾も不発だったのかもしれないんです。』
と言う事で昭和十九年時点では、まともに部隊がフィリピンに上陸したり補給が無事届くのが大変な状況下、武器は不足していた訳で海没手榴弾の支給なんてのも有り得る話かとは思います。
実際の所は、700万以上の日本軍に大量に支給された手榴弾の不発率となると、時期、場所等々諸条件で変ると思いますが、明確にはなりにくい問題だと思います。
退役老少佐
- 昭和期の日本陸軍は多種の手榴弾を用いており、明治時代の旧式なものや生産簡易化した物等もありますし、信管等の構造・デザインも何種類もあります。それらを区別せず、また用いたときの天候等の影響も区別しないならば、3/4というのは、そんなもんじゃないかと思われます。
つまりは一個じゃ確実ではないので二個使えとか、爆発しない事もあるから気をつけろという程度の心構えでいろという事ではないかと思います。
また実際、信管の作動率なんてかなり怪しいものでして、75%も作動するなら、それは中々立派なものではないでしょうか。
SUDO
- 詳しいご説明を有り難うございました。
なるほど、そういう背景なら75%ならそうひどくないわけですね。
同時期の米軍や独軍のものはどうだったんでしょうね。
Yp
- 新潮文庫版「俘虜記」三十三刷(昭和61年発行)43ページには氏の手榴弾自決が未遂に終わった件に関して、
「もっとも太平洋戦線に送られた友軍の手榴弾の六割が不発だったそうであるから、」
とあります。
私は「俘虜記」中の手榴弾に関する記述はこれ以外思い出せません。
内巻き
- じゃ自分の憶え違いです。すみません、間違った数字で回答を書かせてしまって。
しかし6割はやっぱりひどいですよねえ。
Yp
- >5
四個に一個不発、ってのは何となく解るんですが、六割は俄に信じられませんよね。
>1にあるような水没といったケースが全体の傾向にすり替わって大岡氏の耳に届いたのではないかと推察します。
内巻き