138 旧帝国陸軍の砲兵は、砲の近くに置いておくすぐ撃てる用の弾と、あまり弾の飛んでこない安全な所に置いておく用の比率の基準みたいなものはあったのでしょうか。

山本七平さんの一下級将校の見た帝国陸軍を読むと米軍に対して対砲兵戦がほとんど起きていないのは射程距離よりも

弾の飛んでこない後方の弾薬集積所と放列の間を弾を運ぶ手段がまともにない。

砲の近くに弾薬を集積する。

陣地転換は集積した砲弾も移動させなければならないため大仕事。  

必要な分だけすぐに補給している陣地転換しやすい米軍に対して対抗できない。

という事を知っていたからというような記述があったので質問しました。

  1. http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_5_5.htm#A5_5_2
     この一番下のほうを読んでいただければ判りますが、前線の大砲のそばに一日分、その日の終わりに翌日分が送り込まれるというのが、一応の目安です。
     また砲兵中隊は当然ですが一日分の弾薬を抱えたまま動く能力を有していますし、補給部隊(輜重)の一単位(中隊)が一基数の目安であるように、補給部隊も一日分を速やかに送り込む能力を有してます。
     ただし、どちらも額面上はそういうことになっているというだけで、実戦では一日あたりの使用量は想定を大幅に上回り、また重装備や馬の喪失はこれら部隊が額面上の輸送能力すら維持できないと結果になっているようです。
     よって、質問の事例では
    ・段列と放列を結ぶ輸送力は戦前想定1日分すら維持できてない
     ↓
    ・砲の近くに、戦前想定数日分に匹敵するような量を抱え込むことになる
     ↓
    ・陣地転換時に放列の有する弾薬運搬能力は戦前想定1日分かそれ以下なので、移動先に十分な弾薬を運び込めない

     といった流れになると思われます。
     ただ、それで米軍に対抗できないのかどうかは私には判断できません。
     陣地転換しながらの交戦をした場合に、勝敗以前に弾薬が途切れてしまうので、やりたくても出来ない。困難であるという認識はあったと思われますが。
    SUDO

  2. すでに質問に対しては、的確なお答えが出ているので蛇足ながら、こちらのボードの主旨が回答の記録と保存と言う事ですので書かせて頂きます。
    質問者様には失礼ながら、そもそもこのご質問の前提となる、著書の内容を誤認された上で、論理展開され質問されておられるようにお見受けするのですが?

    件の、山本七平氏の著書は以下のように書かれているように私には読めます。
    該書では、段列と弾薬集積所とは区別されており、この集積所は、山本氏が所属する北部ルソン島アパリ正面所在の第103師団から200km程南部に在るサンホセに、第14方面軍が集積している弾薬庫です、第103師団、師団砲兵隊の米軍上陸戦備の為、山本氏はこの運搬の連絡調整任務に従事しており、確かに運搬は大変困難であったと記述されていますが。段列から放列への運搬ではなく、方面軍集積所から師団砲兵隊への補給です。
    そして、アパリ正面に展開していた第103師団にサンホセの弾薬集積所から補給されようとした砲弾は、師団が急遽オリオン峠方面へ移動になったため運搬途中に放棄したと記述されています。
    また別途に、第10師団砲兵は、臂力搬送で十五榴を300kmも運搬したことが記されていますので、いかに、輸送力皆無でも、段列から放列への弾薬輸送は遥かに距離が短い為、不可能とは思えません、人力で弾薬車を運搬しても重い十五加を300kっも引っ張るより遥かに楽なはずです。
    ただ、九六式十五榴については特殊な例であるとして、一点豪華主義という断りを入れた上で、段列から砲則への弾薬補給が一苦労であったという記述がありますが、出来ないとは言っていません。
    『陣地転換は集積した砲弾も移動させなければならないため大仕事。』についても、陣地転換は、大仕事とは書いてありますが、砲弾の件には触れていません。
    さらに、以下の御解釈は、『必要な分だけすぐに補給している陣地転換しやすい米軍に対して対抗できない。という事を知っていたからというような記述があったので質問しました。』とされていますが、これに該当する部分の、米軍が陣地転換を迅速に行えたと言う記述は、山本氏が陸予士で、対米戦術、ア号教育を受けたとき教官がアッツでは米軍が、上陸後二時間で十加を揚陸、放列布置、射撃開始できたが、日本軍は中国戦線の経験からこれが不可能だが、諸官研究されたいと講義されたことに、一候補生の立場でどう研究するのか疑問を投げかけると言う部分の事だと思います。
    しかしここでも砲弾の件には触れていません、米軍の事実と陸軍の対応法を研究する必要を述べているだけです。
    以上のように、私には該書は、段列からの補給困難を理由に放列が砲弾を溜め込み、この為陣地変換に困難を来たしたとは読めません。

    該書の文中の時系列、位置関係、各部隊の上下関係、登場人物の所属等正確に追ってゆき、さらに当時の日本軍の実情を想像出来れば、昭和十九年後半から敗戦までのフイリピンに於ける日米両軍の懸絶した、物量、機械力の質的、量的差が精緻に描写されており、米軍の戦力の本質が理解できず、戦備に右往左往し、徒に戦わずして戦力の消耗を繰り返し、米軍上陸と同時に自殺的前進を発起する日本軍の姿が、一少尉の目を通して描写されています、全てを是とするか否かは読者の判断ですが、体験者の史料として検討する価値は充分だと思います。
    新たな疑問としての陣地変換の日米両軍の難易については、仮に事実であったとしても只に放列が砲弾を溜め込んだと言う一事のみが日本軍の陣地変換の困難を招来したものでは無いと思うのです。
    よく読めば米軍が何故二時間で揚陸から射撃に移行出来るかがある程度理解出来るように書かれてあると思いますし、さらに技術的な問題に疑問があれば、また此処でご質問になられればよいと思います。
    尚、該書、類似の要件に就き、山本氏には『私の中の日本軍』上、下 文春文庫がありますのでご理解の一助に、御一読をお奨めいたします。


    退役老少佐

  3. ご回答ありがとうございます。 
    質問に本を読んで思いついたことを詰め込んでしまい退役老少佐さんには不快な思いをさせてしまったかと反省しています。 

    蛇足ですが、山本氏の著作を読んで個人的に思ったことは日本人がつくった日本軍という組織は、兵士50万人以上を餓死させ、20万人以上を水死させた組織だった、ということに意識がいくようになりました。(人数は個人的な主観です) 今まで戦記などを読んでそのことに意識がいかなかったのか不思議です。



  4. 私の、書き方が硬すぎて不快感を持ったと考えられたのでしたらお詫び申し上げます。
    そう言うことでなく、ご質問と回答で終始すれば、ご質問の論旨が一人歩きし、ある種の通説になる可能性に配慮すべきだと考えたので書かせて頂きました。
    尚、ご承知かもしれませんが日本軍の餓死問題は、戦後早くからの軍事研究の泰斗で反戦論者ではありますが藤原彰氏の晩年の著書に以下の物がありますので、ご参考までにお知らせ致します。

    餓死(うえじに)した英霊たち
    藤原彰 /青木書店 2001/05出版 235p 20cm ISBN:4250201155 \2,625(税込)

    退役老少佐


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