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2819の質問にも一部関連しますが、第二次大戦でのイタリア潜水艦に関しては有名な人間魚雷以外に戦果といえるべきものはほとんど聞いたことがありません。 数だけならずいぶんいたようですが、なぜほとんど役に立たなかったのでしょうか? ライバル(?)の英潜水艦や同業者のUボートに比べると余りにも情けないと思うのですが。 ルイス |
- イタリア潜水艦の実働艦数が少ない(開戦から約一年は40隻程度、1942年以降の兵力最大時でも60隻以下)のと、主要作戦水域である地中海では英水上艦隊以外の水上目標が殆ど無い(余程のことが無い限り、アフリカ向けの英輸送船団は地中海を通らない)事を考えれば、あの程度の戦果しか挙げれなかったのは無理もないような気がしますが。
なお、戦後の評価では1940年12月以降大西洋に進出して任務に当たったイタリア潜水艦32隻により、合計568,573トンの商船と軍艦が沈められ、また200,000万トンが損傷したとされています。この他に地中海で約100,000トン(SLCの戦果含まず)、南西アフリカ水域でも約100,000トンを沈めてますが、これらの合計トン数はより可動艦数が多かった日本潜水艦部隊の合計撃沈トン数(商船のみで907,000トン)と比べてそれ程少ないわけでもありません。
これらの事実からみて、WWII時のイタリア潜水艦部隊が役に立たなかったと言うのは酷では無いかと思う次第です。
大塚好古
- ↑ 「どっち」でさいどわさんに恥ずかしい間違いを突っ込まれたので訂正します。「200,000万トン」は「200,000トン」です。どうも失礼しました<(_ _)>。
大塚好古
- きゃ〜〜! こんなところにワタシの名前出さなくてもいいですぅ〜〜
あたふた(((^^;)...(;^^)))あたふた
で、ちょっとジミな話になりますが、数隻のイタリア潜水艦が武装を撤去して輸送潜水艦となり、ヨーロッパから日本占領下のシンガポールまで貴重な物資・兵器・人員を届けてくれています。
さいどわ
- 単に保有隻数だけを見るとイタリアとソ連はもっと頑張れと言いたくなりますけど、実働隻数からするとだいたいそれに見合った戦果を挙げていると思います。
有名な話ですが、大西洋に進出し、また、地中海へ戻るにあたってジブラルタルを抜けるときに、イタリア潜水艦は1隻の損失も出していません。
48回のジブラルタル通過でパーフェクトゲームを達成しており、また大西洋潜水艦部隊(BETASOM)に編入された艦は28隻、うち10隻は途中で呼び戻されていますが、更にあと10回余る勘定で、複数回通過をしていない艦の方が少数派ということですね。
まあ、Uボートが地中海に入ったとたんにバーラムだのアークロイヤルだのの大物を連続して喰ったので、それまでイタ公は何やってたんだ? とか、BETASOMの潜水艦は旧式で低機能(低性能というのとは微妙に違う気がする)だからアフリカ沖のヤバめでない哨戒区を任されたのだ、とかいうことになりやすいのだと思うのですが。
逆に言えば、その低機能の潜水艦でよく頑張っていたという見方もできますし、日本と同じように知識や訓練が古くさくて十分でなかったということもあり、また大塚さんが仰るように実働隻数は多いものではなく、戦果の相対量はともかく絶対量で少ないという原因はこれらが複合していたものと思います。
まなかじ
- 潜水艦のきわめて低い居住性にイタリア兵の文句はなかったんでしょうか?なんか面白いエピソードがありそうな予感。
らいおん
- もっとも活躍したイタリア潜水艦はレオナルド・ダ・ヴィンチでhttp://www.subnetitalia.it/regiovinci.htmによれば、イタリアが沈めた最大の船舶であるエンプレス・オヴ・カナダ(2万1517t)を含む船舶17隻12万237tを沈めております。
3でお書きになられている潜水艦はレジナルド・ジュリアーニ、コマンダンテ・カッペリーニとルイジ・トレリで、最後の2隻ははイタリアの降伏後ドイツ海軍籍を経て日本海軍に編入され伊503と504と改名いたしております。
なお、イタリア海軍は参戦時、ソ連に次ぐ世界第2位の潜水艦保有国でありますが、大西洋に進出できる大型潜水艦の数が比較的少なかったと言うのが稼動艦数の少なさという事になるのでしょうが、地中海で作戦していた潜水艦も多数存在しております。
hush
- 全般的なお話が多いので、ここでエピソード的な事をひとつ。
地中海を巡る諸海戦で最大の激戦となった1942年8月のぺデスタル作戦において
イタリア潜水艦は恐らく戦争期間中でも最も劇的な攻撃を記録しました。
「ぺデスタル(土台)作戦」とは物資欠乏の極みにあるマルタ島に向けて
14隻もの高速輸送船を用意したイギリス海軍が厳重な護衛をつけて強行突破を図り、
これを阻止すべく展開した独伊空海軍部隊との間で11日から13日にかけて激戦を展開したものです。
最大の関門、シチリア海峡にさしかかった英船団を待ち構えていたのは11隻ものイタリア潜水艦で
その内の1隻、艦長レナート・フェッリエーリ大尉が指揮するアクスムの雷撃が
よりによって船団直接護衛隊の旗艦、ハラルド・バロウ少将の座乗する軽巡ナイジェリア
防空巡洋艦カイロ、そしてこの作戦で一躍有名になるタンカーのオハイオに一挙命中。
ナイジェリアは大破、カイロはそのまま沈没、オハイオは沈没は免れたものの航海に支障が発生。
続けて艦長セルジオ・ブッチーニ大尉のアラジの雷撃が夜間航空雷撃と同時に見舞われた結果、
軽巡ケニヤと輸送船クラン・ファーガスン号とブリズベイン・スター号の3隻にも被雷しました。
ケニヤとブリズベイン・スター号は辛うじで航行可能でしたがクラン・ファーガスン号は沈没。
結局、潜水艦2隻が連続で各3隻の撃沈破に成功するという快挙を成し遂げることとなりました。
なお、この夜の戦闘は非常に錯綜したものであった為に攻撃被攻撃の関係は不明点が残ります。
ここでは英海軍大佐、ドナルド・マッキンタイア氏の著作に拠るものであります。
烈風天駆
- 補項
3隻の一挙撃破は確かに快挙ですが、この時の英船団は海峡通過のために
船団の隊列を二列縦隊へと移行済みでありました。
要するに、魚雷発射の際に開度を付けておけば複数艦同時命中は十分望める訳で
事実アクスムは、1番2番の魚雷は直進、3番4番はそれぞれ5度づつの開度で発射されています。
…前回のハープーン作戦で、前記の防巡カイロ以下の護衛隊が伊軽巡に翻弄された結果
かねての大艦喪失の危惧を犯してまで断固投入された英大型軽巡3隻だったのですが、
ナイジェリアとケニアがあの様で、マンチェスターは伊魚雷艇に喰われてしまうなど
今回は肝心の伊艦艇は現れないまま、踏んだり蹴ったりな結果に終わってしまいました…
烈風天駆