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駆逐艦 秋月の怪 古俣滋郎著の「駆逐艦入門」の秋月の戦歴のくだりに。「昭和17年10月14日〜16日の三日間に10センチ高角砲864発を撃った、この時の残弾は10センチ砲2860発だった」との一文があります。とすると、出港したときの10センチ砲の搭載弾数は3724発、これを主砲八門で割ると、一門当り465.5発となります。確か定数では一門あたり300発だったはず。これだと、随分と余分に積み込んでいることになります。 WWIIドイツの戦車兵の手記や回想録では砲弾を予め、定数より余分に積み込むことが日常的に行われていた様子ですが、日本の海軍艦艇でも同様のことが行われていたのでしょうか?機銃弾などは、幾分多目に積み込むことはあったのではないかと想像していますが、この「秋月」の場合、砲身命数を大きく越える量を積み込んでおり、高角砲の砲弾は薬莢式だったと思いますので、戦艦主砲のように、弱装填薬で主砲弾発射した場合に1/2でカウントするということは無さそうなので釈然としません。 自分の考えとしては。 (1)戦時記録、著者の誤記 (これはなさそうだなあ。) (2)秋月級の説明にあるように砲身の交換が“本当”に船内で行えた。 (3)砲身命数の実際の数字は一般に知られている350発よりも多い。あるいは命数切れでも射撃していた。 (4)榴弾、徹甲弾など、弾種の異なる砲弾が積み込まれており、それらを均等に射撃、消耗していくわけではないので、別段、問題ない。 などを考えていますが、自分の身の回りにある資料を漁っても、そういった記録は見つけられません。 皆さんどうか、お教えいただけないでしょうか? 相良 |
- 残弾286だったんじゃないですか?
SUDO
- SUDOさん>ありがとうございます。だとすると、きっちり1270発、8門で別けると、日本海軍の一門当たりの高射砲弾の定数150発近くに当てはまりますよね。
相良
- 著者名を間違えてませんか?
わんために