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昨年末にNHKで「映像の世紀」という番組が放送され,その中でオーストリア・ハンガリー戦艦「シュチェント・イシュトファン」(と思われる)が横転していく動画がありました。同艦はイタリアの魚雷2発で撃沈されたと聞きます。 また,ジュットランド沖海戦ではHMS「マールバラ」が魚雷1発命中のため戦線離脱の止むなきに至り,防御力不足との批判を受けたとも聞きます。 他にもHMS「オーディシャス」が触雷により沈没したりと,魚雷・機雷が発達してきていたとはいえ,水雷に対してちょっと脆いように思います。 WW1当時のド級・超ド級戦艦設計時に要求された対水雷防御力性能はどのようなものだったのでしょうか? Ranchan |
- WW1末期の長門型・土佐型で対200kg(下瀬火薬)です。
これは計画当時の日本の実用魚雷44式が53糎のでも160kgであった事を思えば、かなり大胆な数字ではあります。
ちなみに、当時はまだ水中防御と水中爆発威力の理論解析等が進んでおらず、水中爆発圧力は、爆薬量の立方根に比例するといった程度の式で計算されてました。
つまり2倍の弾頭に対して1.25倍強化すれば間に合うと言う見積もりで、そして近代的戦艦と近代的魚雷・機雷の戦例は日露戦争時のもの、つまり炸薬50〜100kgの魚雷と、30〜80kgの機雷によるものでしかなかったわけです。
ちなみに昭和9年に日本海軍が編み出した破壊力の式では、爆薬量の0.45乗に比例するとなってますから、倍の炸薬には1.36倍の防御が必要になります。
つまり、想定が比較的低いのみならず、その想定に対する必要な防御性能の見積もりも低かった事が、防御性能不足の原因の一つともいえるでしょう。
また炸薬も、棉火薬・黒色火薬から、ピクリン酸やTNTに移行しており、同爆薬量における水中爆発威力も向上していました。
SUDO
- 英国の主力艦は缶室と機械室(共に艦内の大きな容積を占める)の水密隔壁の配置がまばらなため、一つの水密区画が破られると多大な浸水を惹起しました。巡戦ライオンなどはドッガアバンク海戦で砲弾しか受けてませんが、戦闘側(左舷)の缶室(中心線隔壁を有す)に被弾浸水し、大傾斜して戦線離脱のやむなきに至っています。 ↓
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Circuit/2971/shipping3-8.html
一方の独逸は戦艦の多くと一部の巡戦において、縦隔壁で缶室と機械室を左右中に三分割とし、また1缶室に1缶ずつの配置とするなど、浸水被害の局限に配慮をめぐらしていました。 ↓
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Circuit/2971/ship_germanyD.html
駄レス国務長官
- 皆様ご回答有難うございます。
「超ド級戦艦は魚雷1発位ではビクともしない」と思っていましたが,WW1当時ではそうとは言えなかったのですね。ましてド級,前ド級戦艦では・・・。
Ranchan