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「鈴谷」の最終時、特に艦橋前部の機銃台が明確に写っている資料を探しています。 当方の手元の資料は、どれも軽巡時代や重巡化直後の物のため、最終時の状態が把握出来ません。 ・ 元の(13mm連装当時)高さのままで、大きさのみ拡張されて25mm三連装に換装した ・ 元の機銃台を撤去して「最上」同様に若干低い位置に新設した(その時の射撃指揮装置増設はナシ) ・ 上と同様に改装した、更に「最上」の様に艦橋前部に射撃指揮装置を増設した という説があって、どれが正しかったのか考証で悩んでいます・・・ご存知の方、よろしくお願い致します。 よね |
- 写真に当たった訳じゃないですが、当時の調査などから射撃指揮装置は増設されていないようです。
機銃の台座は、同じレベルに増設されたと考えられるのですが。
tackow
- 光人社出版の「軍艦メカ3 日本の重巡」を見た限りでは、
台座は元の高さのままで大きさを拡大。
射撃指揮装置に関してはtackowさんの言われている通りに
増設されていないようです。
残念ながら掲載されている写真は最新のもので昭和14年の物で
参照にしたのは昭和19年6月の艦橋構造物を描いたイラストです。
たかやま
- と思ったら、あ号作戦時の写真がありますね。
どうやら、殆ど同じか若干低い位置になっているようです。
tackow
- ありがとうございます・・・とりあえず射撃指揮装置は増設なしの方向で良さそうですね(笑)
機銃台の拡張は、実際はどこかに入港した際にやっつけ処理的にいじった場合などは(単装機銃の増設の様に)
正確な図面などはないでしょうし・・・若干低め、「最上」よりも上、辺りが無難な線でしょうかね?
よね