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2599 過去に雑誌で、『旧日本軍は航空母潜水艦でアメリカ本土に爆撃を仕掛けた』と読んだ記憶があります。
米本土に日本軍が爆撃を行った事実は知っているのですが、実際こんな兵器を使って攻撃を仕掛けたのでしょうか?
axece

  1.  空母というか、小型の水上機を一機格納できる大型潜水艦を日本は運用しており、その飛行機で偵察のついでに爆弾を落としたのです。
     後に水上攻撃機(厳密には少し違う)を2〜3機搭載できる潜水艦も建造されましたが、こちらは終戦までに実戦参加の機会はありませんでした。
    SUDO

  2. 実際に米本国の爆撃を行ったのは、伊25に搭載された零式小型水偵でオレゴン州の森林を2回ですね。
    伊400型とそれを補佐する伊13型が晴嵐を積んでパナマ運河を攻撃するつもりでしたが、実際にはウルシー環礁を奇襲することに計画が縮小されて、攻撃に出た途中で終戦になっています。
    米本国に与えたダメージとしては、風船爆弾の方がまだあったかと。
    (季節によっては、このあいだのカリフォルニアのような大火事になった可能性もあったかと)
    キック

  3. 参考までに
    潜水空母
    ttp://www.cityfujisawa.ne.jp/~goma/mech6.html
    過去ログ
    http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2001862.html
    シルバー

  4. >2
     付け加えると、先日の山火事報道でも分かりますとおり、当時から現在に至るまで、東海岸の山火事は米国でも大きな問題になっており、その情報を入手した日本が最小限の攻撃で最大限の効果を狙ったものでした、しかし季節はずれの降雨の影響もあり?火災は発生しなかったようです(風船爆弾も同目的)
    わんために

  5. ちょっとそれてしまいますが。
    風船爆弾については、季節はずれの降雨の影響というよりは、日本側で西海岸の乾季を勘違いしたのと、
    集中して投入しなかったのが効果が少なかった原因と聞いてます。
    実際に多少の成果はあげたのですが、戦時中でもあり秘匿されたとか。
    (日本側はだめもとで飛ばしたので、米国に着いたかどうか知らなかった)
    米国の評価がそれほど低くないことは、スミソニアンに展示されていることからうかがえるのでは。
    キック

  6. 更にそれますが、
    風船爆弾は偏西風の状態に依存する物であるため、米国本土の季節は重要度の低い要件でした。
    また良好な偏西風の時期には、その当時で可能な限り集中放出をしていますし、外電経由で最低一度は到達の確認が出来ている為、全くの「ダメ元」でも無かったはずです。
    但し戦前から周到に準備したような物ではないので、結果的に集中に欠けたのは事実です。

    だーくまたー

  7. >5
    ジェット気流の位置は季節によっても大きく変動し,冬期に最も南約25度付近に下がり最も強く,夏期は約45度付近ぐらいまで北上し弱くなるため、米国西部の乾期(夏期)の間はジェット気流に乗って飛ぶ風船爆弾を使用するには不適当だっただけでしょう。西海岸の乾期を勘違いするなどあり得ないことのような気がしますが、根拠の提示を頂ければ幸いです。
    アインベオ

  8. >5.
    >日本側で西海岸の乾季を勘違いしたのと、
     米国西海岸で山火事の多発する時期は晩夏から秋にかけて、9月始めから10月終わり頃です。時期到来を待っていたら戦争が終わってしまいます(笑)

    >米国の評価がそれほど低くない
     アメリカ側はまさか太平洋を渡って風船が飛んでくるとは思いもよらず、当初は山奥に逃げ込んだ反抗的日系人または日本軍の潜入工作員が飛ばしていると思っていたようです。回収された風船爆弾の部品に日本語の刻印があったこと、また残っていたバラスト袋の砂に日本でしか見つからないプランクトン化石が含まれていたことから日本本土から飛来したことが判明したそうですが、これを知った軍や政府首脳部の驚愕は相当なものでした。もしこれに細菌や毒ガスが込められ、それがロサンゼルスやサンフランシスコに落ちでもしたら…いやそれ以前にそういう可能性があると国民に知れたら、せっかく日本を無条件降伏に追い込める大事な時期に大規模な反戦運動が起きかねない…ということで厳重な緘口令が敷かれ、風船爆弾回収隊が組織され、風船爆弾が見つかったと聞くや現場に出向いて残骸を一片残らず回収したうえ目撃者に口止めをして回るという、後年のUFO騒ぎのような事が行われていたそうです(^_^;)

    その後バラスト砂の鉱物成分を徹底分析して日本各地の海岸の地質と比較、千葉県が最も怪しいとされ高々度写真偵察によって水素生成プラントを特定、B−29を送り込んで破壊したそうです。

     一袋の砂から風船爆弾基地の特定に持っていった科学力はさすがアメリカと言われそうですが、日本もボンヤリしていた訳ではありません。サンノゼの飛行学校に操縦を学びに来ていらした空技廠に勤められていた方のお話を聞く機会がありましたが、墜落した敵機の残骸の内部に積っていたゴミや砂埃から花粉を回収し、どの部品が何時何処で作られ、それが何処をどう通って前線まで運ばれたのかを推測する仕事をされていたそうです。
    ささき

  9. > 風船爆弾回収隊

    初めて黒人で編成された空挺部隊(確か第555空挺大隊といったか?)が回収任務に当たったようですね。アーリントン墓地にもこの部隊の碑があります。

    ぽとまっく


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