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世傑65の「隼」の戦闘記録の記事に、5月22日アキャブを攻撃してきた1機のブルニム4を迎撃した1式戦が次々被弾し、最後に加藤戦隊長も発火して海中に自爆した。とありました。相手のブルニム4は最大速度425km/h、7.7mm機銃5丁の爆撃機で、それほど高性能の機体とも思えませんが、戦況はどうだったのでしょうか。 Mizo |
- 7.7mm機2丁の日本戦闘機は、至近距離迄近付き敵機搭乗員専ら操縦手を狙撃射殺する事で敵機を落していました。どの段階で隼に12.7粍が導入され、更にどの段階で敵機に密着するのでは無い対多発機戦術に切り替わったのかと云う事です。
にも。
- "kato" "brenheim" でぐぐって出てきた記事。
http://www.warbirdforum.com/may1942.htm
本文も参考になりますが、ページ中ほどの写真を見てください。文字通り「海面を這う」ように飛んでいます。こういう飛び方をされると旋回機銃の死角である下からの攻撃はできず、海面との衝突を避けるためには上から突っ込むわけにもゆきません。
22 日は投弾後に離脱する敵機を追いかけての戦闘ですから、軽くなったブレニムは最高速に近い速度で海面スレスレを飛び、あまり速度差のない隼は真後ろから一直線に追いかける以外にこれを捕捉攻撃する方法がなく、後部銃座の砲火をもろに浴びる結果になったのではないかと思います。
上記ページには安田機は「badly damaged」、大谷機は「fuel tank holed」、加藤機は「right wing burst into flame」で、大谷・加藤機とも主翼の燃料タンクに被弾したらしいことが伺えます。隼の燃料タンクには防漏処理が施されていましたが、1型はまだ発泡ゴムではなくフェルト主体のものだったので 7.7mm 弾の被弾孔を完全に塞ぎ得るものではなかったようです。しかも英軍 7.7mm の焼夷弾はかなりの高性能ですから、加藤機は当たり所が悪く着火してしまったようです。
なお、日本側戦記では「相打ち」とされているブレニム機は生還しています。
ささき
- ていねいなご回答ありがとうございます。世傑65の表紙絵に似た状況だったわけですね。
Mizo