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このところの書籍では隼の加速力と上昇力はかなりなものであったとあります(うれしい限りですが?)。堀越さんの本ではコンテスト時は300mの差があったとか、ラバウルに出かけた時上がりに差があったとありました。ガソリンのオクタン価の違いと小サイズのプロぺラ(減速比0.61との記述を見た覚えがあります。同時代の海軍機は0.59だったそうです)。の設計の違いがあると納得していたのですが、なんか混乱してきました。事実はどうなんでしょう。開戦前の陸海軍コンテストは、どのステップの隼が使われたのでしょうか。 元GTII |
- 隼は、中島飛行機の低翼単葉の習作。
二式単戦は2000馬力クラスへの繋ぎ。
飛燕は優秀だったが、最初から空冷エンジンを積むべきだった。
疾風は設計が繊細すぎて、当時の日本の工業力では荷が重かった。
結論としては、翼内に機関砲を装備できない隼は、武装が貧弱すぎて、
欠陥機と言って差支えないほどの「ダメダメ飛行機」だったわけです。ムフ。
ごっちん
- したがって、陸軍は、隼の採用を中止し、代わりに三菱のゼロ戦を採用して
おれば、加藤さんもインド洋の藻屑とならずにすんだかも知れません。
そして、2式単戦の採用も見送り、代わりに雷電を採用し、大量に配備しておれば、B29に一泡吹かせてやれたものを。
その後の2000馬力級戦闘機の開発も、陸海軍が協同して、中島、三菱、川西などに、協同作業を命じて開発させれば、疾風より優秀な戦闘機が
疾風より早く出現したはずです。ムフ。
ごっちん
- >1
翼内に20mm装備したゼロ戦も命中率が悪かった事例もあるので、隼の翼内に装備しなかったのもある意味正解じゃないですか?
>2
肝心のエンジンが量産できなかったのですから、むしろ疾風の方が無難な設計で一足早く量産できたのですが?
マルヤ
- >#1,2 ごっちんさん
>飛燕は優秀だったが、最初から空冷エンジンを積むべきだった。
積めそうな空冷エンジンが無いのでは?
>疾風は設計が繊細すぎて、当時の日本の工業力では荷が重かった。
キ84に限った事ですか?
どこが繊細なのですか?
>そして、2式単戦の採用も見送り、代わりに雷電を採用し、大量に配備しておれば、B29に一泡吹かせてやれたものを。
キ44と雷電、それぞれ実質的に動けるようになった時期を調べてみては?
>その後の2000馬力級戦闘機の開発も、陸海軍が協同して、中島、三菱、川西などに、協同作業を命じて開発させれば、疾風より優秀な戦闘機が
>疾風より早く出現したはずです。
どのみちエンジンが無いです
紫電やキ84ですら、2000馬力エンジンが全然間に合っていないのですから...
セミララ
- >ごっちさん
>飛燕は優秀だったが、最初から空冷エンジンを積むべきだった。
低馬力エンジンしか積めないのが判っていながらああまで重いのは優秀なんでしょうか?
>結論としては、翼内に機関砲を装備できない隼は、武装が貧弱すぎて
機首にホ5を積む計画がありましたがそれでは駄目なのでしょうか?
機首に積むことが駄目というならソ連の戦闘機はほとんど駄目になりますが?
>欠陥機と言って差支えないほどの「ダメダメ飛行機」だったわけです。ムフ。
防弾積んでない零戦の方がよっぽどどうかと思いますが?
>そして、2式単戦の採用も見送り、代わりに雷電を採用し、大量に配備しておれば、B29に一泡吹かせてやれたものを。
大馬力エンジン積んだ戦闘機の実戦配備を昭和19年末まで遅らせる理由がどこにあるのでしょう?
そして、1.2の解答は質問を満たすのでしょうか?
まさか釣り上げて荒らすのが目的でしょうか?
P-kun
- ごっちさんと言う方は、だいぶ事実認識にズレがあるようです。背景に海軍航空がベストであるという考えが見え隠れしているようです。弱点イコール欠陥機という考え方で言うと、一撃で火を吹く零戦も欠陥機の端くれでしょうか。
NO
- このサイトの「軍用機の話題」コーナーで胃袋3分の1氏が零戦と隼を比較なさっていました。
http://www.warbirds.jp/ibukuro/Zero_43.HTM
オクタン価につきましては別館「真実一路」のこのページが参考になるでしょう。
http://www.warbirds.jp/truth/okusan.html
どんな飛行機も欠点だけ挙げれば「ダメダメ飛行機」となってしまいます。戦闘機は奥が深いもので、今まで挙がった程度の特徴で優劣を決めることには抵抗があります。
流☆