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歴史群像「一式戦闘機隼」が出まして、隼フリークの私は早速購入しました。古峰文三氏の記事で、新たな資料発掘もあり、楽しく拝読いたしました。ところで昭和35年頃と思いますが、「丸」誌の隼特集の「小山技師」の回想で、武装問題でかなりすったもんだがあり、19ミリ口径砲搭載問題があったと記載されていたと覚えています。ここら辺は私の記憶違いでしょうか。 題から外れますが、フライアブル隼3型は、キャノピー形状が違い全体のイメージが違ってしまっている、と感じるのは私だけでしょうか。 元GTII |
- 失礼しました。記事云々は「丸」誌に問い合わせれば良い問題でした。ただ、「丸」誌はこんなことに答えてくれるのですかね。
要求仕様作成時、陸軍は本当に7.7ミリレベルで十分という認識だってのでしょうか。
元GTII
- キ43の武装については航空兵器研究方針に示された通りの機関銃2挺でスタートしていますので、それ以上の武装を予定していればそこに何か特別な理由が存在しなければなりません。ただし航空兵器研究方針の枠内にある機関銃も従来の八九式から7.92mm口径で発射速度の大幅に増大した九八式へと強化されます。
ブレダ機関砲の搭載は航空兵器研究方針の枠から外れる改造ですが、キ43試作機完成後に勃発したノモンハン事件の戦訓を反映して14年秋から実験計画が進められます。重要な戦訓の反映は兵器研究方針の改正(14年中に検討され実施は翌年となる)よりも先行したという例でもあります。
中島と航技研等の遣り取りを見る限り、武装に関する議論が白熱した様子は見受けられません。またキ43の試作に関して小山技師以下の中島側と官側との関係は比較的穏便なもののようで、烈風試作時の三菱vs空技廠のような緊張感はあまり感じられず、官側へ提出された幾つかの希望を参考にすれば、小山技師の当時一番の関心事は武装ではなく機体の再設計による軽量化であるような印象を受けます。
キ43の武装は八九式、九八式、ブレダ、ホ一〇三と確かに目まぐるしく変更を受けてはいますが、審査を左右するような事態は一度も起きていないようです。
BUN
- 早速の回答有難う御座います。隼のことでしたら何でも知りたい私です。今後とも宜しくお願いします。テキサスの隼ですが、航空ファン誌では、飛行姿が1枚程度しかありませんでした。その後どうなってるんでしょう。気になってます。
元GTII
- 隼について、特にその試作審査の過程は今まで完全に誤解されていた部分があります。今回、隼の生い立ちに関する問題を一気に片付けましたからちょっと混乱する方もいらっしゃるかと思いますが、伝えたいことを読み取って戴ければ幸いです。ありがとうございます。
BUN
- 当該ムックは私も購入、精読しつつあります。
1型の武装が7.7mmx2ではなかったのは、新鮮な驚きです。
それから隼と言えば何かと非難される「主翼に武装が無い」という言が、(今のところ)見られないのも快適です(笑
楽しく読んでおります。
satoski
- satokiさんの「主翼に武装が無い」点ですが、試作要求時に将来を見据えて翼内の装備を検討することは全く無かったのでしょうか。これが先見性の無さと言う評価になっているのでしょうか。
元GTII
- 「先見性の無さ」とは戦後の解説者の評価であってキ43試作当時の発想ではありません。当時としては更に武装強化が必要ならそのような機体をまた設計すれば良い、といった考え方が一般的です。それだけ試作計画が密な時代なのです。
BUN
- >必要ならそのような機体をまた設計すれば良い、
世間ではそういう行き当たりばったりなのを先見が無いというと思います。
む
- いきあたりばったりなのではなく、航空技術の進歩がものすごく速い時代ですから、ヘタな改良するよりまっさらの新型作った方がはるかに優れたものができる状況だったということでしょう。
1930年代後半から1940年代の航空技術の発展の早さは、最近に例えれば1990年代末頃からのPCの進歩の早さに似たものがあると思います。
古いマザーボードに下駄はかせるくらいなら、新しいボードに新しい石と新しいHDDを組んだ方がずっと優れていて、しかも周辺機器やグラボやサウンドなどを現状に合わせて更新を行なうとすればたいしたコスト差もない。
この頃の戦闘機も同じで、古いエアフレームに新しいエンジンを積もうとしてじたばたするより、新しいエンジンにはさっさと最新理論で作った新しいエアフレームを用意し、また武装や装備の強化も古いのを改良するより新しいエアフレームに組み込む方が結局簡単でかかるコストや時間も大差がない。
従って、それは行き当たりばったりなのではなく、むしろ次々に新型に乗り換えていく方が運用や用兵(PCの例えで言うなら新たなOS、急速かつ多様に進歩するアプリ、飛躍的に加速する回線技術など)、ひいては要求仕様(つまりそれらを走らせるのに必要なスペック)に対して「先見の明」を活かせる状態だったのであり時代だったのだと思います。
まなかじ
- 逆に言えば、例えばI-16に端的に見られるように、多少の先見性などはあっというまに技術の進歩に抜き去られてしまう時代でもあったということですね。
まなかじ
- 翼内砲を設けるスペースなり、構造を初めから計画するのは当時そんなに難しいことだったのでしょうか。海外ではすでに例があったと思いますし、同時代の零戦もあるのですから、不思議でしかたありません。当時の設計作業はかなり手間がかかるものですし、ドラフターもあったかどうかわかりません。CAD時代以前の自動車メーカーの内装品の断面線図に接したことがありますが、そんなものでも、かなり手間がかかります。ボディになったらどんなに大変かわかりません。新型をまた設計すればいいとあの時代の人たちは本当に考えていたのでしょうか。最低2,3年かかるし、現に開戦後は実用機はあまり出せていません。
Mit
- >11
キ43の例でいうと、試作一号機の初飛行は、要求から1年しか経ってませんね。主翼だけならもっと短期間で済むかもしれません。
SUDO
- 翼内砲を積む戦闘機、ということでしたら、キ43(隼)とほぼ並行してキ44(鍾馗)が開発されていました。だったら1000馬力にわずか及ばない低出力機のキ43に重量増加による性能低下のリスクを負わせるよりは、現にできつつある1200〜1500馬力級のキ44に集中した方が利口です。
現に、キ44は空力の詰めなどに手間取って当初予定どおりとは行かなかったものの、昭和16年11月には曲がりなりにも部隊編成にこぎつけていますので、ちゃんと「キ43の次の手」は用意されていたわけです。
Schump
- >11
キ44もキ45もキ60もあるのに、何でまたキ43に「翼内砲を組込む余地」を織込んでおく必要性があるのでしょう?
キ43に翼内砲を積むなら、単に低馬力な鍾馗ということになり、わざわざ装備する意味は何ら見出せません。
平たく言えば、鍾馗はF-15A、隼はF-16Aだったのです。鍾馗はF-4Eで隼はF-5、あるいは鍾馗はF-106で隼はF-104、という例えでもいいですが、つまりハイローミックスのロー側、軽量小型低馬力で安価、軽快さを武器に戦う対戦闘機戦専用機だから、当初計画ではスパローの運用能力、つまり砲装備は、価格を上昇させ軽快さを低下させる要素と考えられた。
これが零戦では、九六艦戦がF8Uに対して零戦はF3Hを目指したものと例えることができるでしょう。つまり、開発着手の時点で、零戦は砲を、いわばスパローを積まなければならない戦闘機であり、隼は積まなくてもよい戦闘機だったのだと。
鍾馗の出来はあまり思わしくなく、また想定戦場が満州から南方へシフトするにあたり、より戦域の条件に適合する隼が多数を占めたという結果にはなっていますが、本来は主力戦闘機の本命は鍾馗にあり、隼はその補助として制空戦闘を分担する存在として計画されていたわけです。
また、単座戦闘機で見れば隼もほとんど開戦と同時、数的主力になったのは開戦後という陸軍の最新鋭機ですし、鍾馗、飛燕、疾風と、陸軍航空隊は開戦当初の主力であった九七戦以降5つの基本型式とそのメジャーチェンジ型式を4〜6つ(数え方による)、合わせて10種類前後の「新型」戦闘機を送り出しています。
しかも、本来隼の後継にあたるべき第二世代軽戦闘機になるはずだった戦闘機はキ60の軽戦バージョンであるキ61、つまり飛燕ですが、これはちゃんと翼内砲を積んでいます。
これは出来上がってきた飛燕は思ったより速かったけれども重くてとても対戦闘機専用戦闘機にはならなかった、という事実とはまた別の話ですね。
まなかじ
- 隼に翼内銃が無いのは翼内銃を持たないキ43試作機の仕様がそのまま急速整備されたことが最大の理由です。そして機関砲装備要求が出た際にもブレダ機関砲やホ103が胴体に搭載できてしまったことも影響しています。仮に陸軍がエリコン系機関砲を採用していれば必然的に主翼は再設計されていたことでしょう。主翼の再設計はキ43についてもあり得る選択肢でしたし、初飛行のすぐ後から基礎研究が開始されていた中島キ62には翼内銃が要求されています。
後知恵で「先見の明が無い」と評するのであればホ5への換装のために新設計を必要としたキ61の主翼のようなものを挙げるべきでしょう。
12年末に要求、13年末に一号機完成のキ43の後を追って新軽戦闘機キ62の研究が始まり、並行してキ27二型の試作が開始されて翌年に完成し、更にキ43への各種新発動機換装時の性能試算が行われ(ハ115〜ハ315、ハ45〜ハ145)、キ62計画はキ43二型が暫定的に代行しながらハ45搭載機として研究続行され、キ62と並行して研究されたキ63計画と半ば渾然一体となりながら昭和16年末にはキ84の試作内示に至ります。昭和14年から16年にかけて、中島系軽戦闘機の流れの中にはこれだけの数の試作計画があります。参謀本部が急速整備要求によってこの流れの上流を汲み上げれば「隼」となり、下流まで待って汲み上げれば、それは「疾風」のようなものになるということです。
BUN
- >11.
>翼内砲を設けるスペースなり、構造を初めから計画するのは当時そんなに難しいことだったのでしょうか。
主翼に機銃スペースを設けること自体は、難しくはないでしょう。
ただ、それは顧客である陸軍からの要求仕様に盛り込まれてはいません。
(それが何故か、という理由については他の方々がレスなさっています)
その一方で速度・航続力について前作97戦からの大幅な向上と、運動性について97戦と同程度とすべしという厳しい要求が明言されています。
(それが何故そうなったかについても、学研「隼」に記事がありますね)
さてこの業務を引き受けたプロジェクト責任者として、どのような選択があり得るでしょうか。
1 あくまで文面に記された仕様を満たすことに全力を投入する。
2 仕様に明文化されていなくとも、欧米戦闘機の趨勢から見て個人的に将来の主翼武装拡張は必須であると信じ、それを製品に実装する。
(性能不足で要求仕様を満たせず不採用となるリスクを冒してでも?また、高速重武装戦闘機であるキ44が同部署において同時進行していることを知っていても?)
3 あるいは両者の折衷案として、第一設計は主翼武装なし・軽量化優先の設計とするが、将来もし主翼武装追加が要求されたときにも大幅な変更なしに実現できる工夫を織り込んでおく。
(そういう工夫を織り込んだうえで、要求仕様が実現できる自信はあるか?その自信の裏づけとなる定量的データはあるか?そのデータを得るための基礎実験に費やす時間的余裕は?それとも定量的データはなくとも、やってみれば何とかなるさ式にプロジェクトを進めるか?)
史実のプロジェクト責任者が2あるいは3の選択肢を取らなかった本当の理由については推測の域を出ませんが、自分がもし同様の状況に置かれたとして、仕様書に明記されていない主翼武装への布石を行い得るかどうかを考えてみるのも一興ではないでしょうか。
ささき
- >16
後知恵でいうならば、狙った速度性能が達成できずに四苦八苦になったのですから、これで余計な武装余裕なんかあった日にゃ、先ずは武装スペースを削る再設計をする羽目になったかもしれませんな。
SUDO
- 何といったらよいのか難しいのですが、文章にしてみます。
>11の疑問に対するきちんとした回答と思われる物は>16のささきさんの回答だけと思います。
「後知恵だから〜」と突っ込んでいる方の意見ですが、その意見が後知恵からの推敲なんですよね。本末転倒です。
>11の意見はミリタリー系に興味を持った人からすれば純粋な感覚ですよね。
なぜかしこまった回答やオーバースペックな回答になるのだか・・・
why
- 同時代の米英の戦闘機をみてみたのですが、P−35、P-36、P−40B あたりでしょうか。7.7mmだけのものはありません。回転銃座の特殊な戦闘機だけでした。グラジェーター、ブーメランまで入れれば7.7mmオンリーの戦闘機はありますが。開発開始時期は、すでに12.7mmが標準装備の時代だったのではなかったのでしょうか。そのことを知った上で軽量化を徹底させて、軽快な運動性能を追い求めて出来たのが「隼」というならこれ以上いうことはありません。
Mit
- そのP-40Bと比べて隼のエンジンはいったい何馬力なのでしょう?
隼1型に積んだエンジンは基本的に同時代の欧米機と比べてエンジン出力が2割以下も低いのです。
それに隼の相手は世代が古くエンジンが低出力のP-36やP-35ではなく、隼よりエンジン出力が高いSpitIやHurricane、P-40、F4F、Mig-3、Lagg-3なのです。
低出力エンジンしか望めない状況でそれら高速戦闘機に勝つためにはどうしたらいいでしょう?
それに隼の武装は1型で既に7.7mmx1+12.7mmx1で7.7mmのみではありませんし、
12.7mmx2にすぐに換装可能なことは同じカウリング形状の2型で証明しています。
まあ結果的に言うなら、
>そのことを知った上で軽量化を徹底させて、軽快な運動性能を追い求めて出来た
というのはその通りなのです。
おかげで隼は零戦に比べ軽く、加速力・上昇力共に上であり連合軍から認められるほどの効果のある防弾装備を持つ戦闘機になったではありませんか。
P-kun
- すみません。まちがいまして。P−40BではなくてP−40(1040hp)でした。1935年の競争審査というから昭和10年の時点で、12.7mmを装備しているといいたかっただけなのですが。
Mit
- >19
英空軍に限れば、隼一型の生産時期にはスピットファイアVA、ハリケーンIIA、タイフーン初期型等の7.7o機銃装備のみの機体が継続生産されていますけど。
大塚好古
- 8丁装備していることは知っていました。12.7mmが載せられるか、情報がとり得るかのレベルでいったつもりで、後に20mmを載せる戦闘機を比較対象にはとてもできませんでした。
Mit
- 一式戦も後に20ミリを装備していますね。
量産は間に合わなかったけれど。
片
- >19
ですからキ44が、重武装化の趨勢に対応する戦闘機(重戦闘機)として同時期に開発されていることは#14でまなかじさんが指摘していますが、ご理解いただけませんか?
つまりキ43は、他国の趨勢に直接的に対応する機種ではないのです。
SUDO
- キ43とキ44は対戦と対爆2機種でワンセットだから、連携プレーをすればいい。不相応な武装は必要ないというわけですね。緒戦はともかく、その後そんなシナリオ通りのシーンがあったのか戦史には暗いのでわかりませんが。
Mit
- >26
いや、重戦闘機は対爆撃機も対戦闘機もできる、欧米の最新主力戦闘機に比肩する万能戦闘機です。
で、これが日本の持つ技術では達成困難であり、また数量面でも不安なので、ローエンド戦闘機として軽戦闘機という対戦闘機になら使えなくも無いかなという仕様が用意され、その軽戦闘機として作られたのがキ43なんです。
ですから、欧米の戦闘機の趨勢は、直接的には軽戦闘機には無関係なのです。そういった凄い戦闘機と戦うのに武装や性能を顧慮しますが、ローエンド機で低馬力なのですから、同じ事をして対抗できるはずは無いので、自然と武装に対しても要求順位は低くなるのです。
このことは#20でP-Kunが指摘していますよね。「欧米機と同じようなもの」ではなくて「より限られた資源で欧米機と空戦か何とか可能なもの」が軽戦闘機というものだったんです。
SUDO
- 議論ボードの過去ログから、格国代表的戦闘機の初飛行年次。
http://www.warbirds.jp/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=2721;id=
キ-43 の初飛行は 1938 年 12 月で、エンジンは 14 気筒 970 馬力のハ-25 です。ちなみに P-35 の原型機 SEV-1 の初飛行は 1936 年 4 月(R-1820-G5 850hp)。
十二試艦戦やキ-43 と同時期の欧米機は XP-38/39/40, Bf109E, Fw190V1 であり、キ-44 と同時期の機体はタイフーン, XF4U, XP-51 です。
隼の火力が不足であったことは事実であり、その火力強化を妨げた理由の一つが軽量化を最優先とした三本桁構造にあったことが事実であったとしても、そうなってしまった原因を「行きあたりばったり」「先見性のなさ」と言い切ることについて私は躊躇します。
ささき