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太平洋戦争中、大日本帝国海軍、陸軍両航空隊がそれぞれ似たような戦闘機を独自に開発し、そして散っていったわけですが、それぞれの航空隊が同じ機種を使った場合、速度表記以外に何らかの不都合が生じる可能性はあったのでしょうか? そしてもう一つ、世界の航空隊を持つ陸海空軍それぞれの航空隊が同一機種を通常装備として使用した事例はイギリス軍以外あったのでしょうか? 朱雀 |
- 各軍は「やりたいこと等」の要求があって、その要求に見合った機材として、それぞれ独自の機材を開発取得しているわけでして、その「やりたいこと等」がクリアできる、ないし妥協できる、またはより良いのであるならば、他軍の装備を採用することは十分に考えられます。逆に言うなら、他軍の装備でも差し支えないと判断されるから、他軍の装備を使うわけですから、不都合は特に無いはずです。
また、質問後段ですが、通常装備というのはどのようなものを言うのでしょうか? 限定装備等ではないといった程度であるならば、米国機ではかなりの種類があげられます。
第一線で戦闘に従事する機でも、SBD、SB2C、B24等は陸軍と海軍で用いられています。
SUDO
- 非常に大雑把な考え方を採れば、機体がどうであれエンジンさえ同じであればそれは「同じ戦闘機」と考えることもできます。海軍が紫電改を生産し陸軍が疾風を生産していたとしても大した不都合は無いということです。両者の生産を妨げていたのは機体設計が別々であることではなく、その心臓たるエンジンの生産量なのです。
BUN
- 「誉」搭載の烈風が四式戦並の性能であれば、わざわざハ−43への換装も必要なく生産に移れたでしょうから、「栄」装備の零戦52型をあんなに大量にダラダラ作り続ける必要もなかったでしょう。
「誉」を載せるエアフレームとして、「紫電」(紫電改ではない)や「烈風」はダメダメだったワケですから、「誉」を載せることができ、かつ優れた設計だった「四式戦」を陸海共同で採用できれば、太平洋戦争中のより早いタイミングで『使える「誉」搭載戦闘機』を史実より多く前線に投入できたんじゃないかな、と思うのですが。
通りすがり
- 烈風系列はハ43、ハ44を載せるための機体という感じがしますね。
そういう意味ではキ87、キ94と対にすべきなのではないかと思います。
海軍自身が、紫電改の発達型にはハ45系、烈風の発達型にはハ43、ハ44系と明確に分けておりましたし。
片
- >3
ミクロな視点では確かにそうですね。
ただ疾風も紫電も誉装備の戦闘機を早期に入手するためのプロジェクトである点では同じような位置にある戦闘機です。もし疾風のラチエプロペラが問題を克服できずに19年の春を過してしまっていたら、それは紫電の脚と同じように評されたかもしれません。疾風の行く手に青信号が灯るのと紫電に黄色信号が灯るのはほぼ同じ時期ですね。
BUN
- 同じエンジンを積めば性能的にも結局似て来る、ということもありますが、「昭和二十年度前半期陸海軍戦備ニ関スル申合」では、「空爆の結果陸海共用を予定する機種を左の如く定む」として、
一式戦―零戦―ハ115
四式戦―紫電―ハ45
と、同じエンジンを積む同級機は、空襲による生産設備の破壊に応じて互いに融通しあう、と方針化されています。零戦の組立工場が全滅した場合には海軍は一式戦を使うことになるかもしれない、というようなことです。
そして、このときの条件としては「右に伴う関連兵器、整備力は相互融通し、実働に支障なからしむ」とされており、このあたりが原質問への回答に近いものなのかもしれません。部品、搭載兵器が違うからその供給も同時に行わなければならないし、整備マニュアルについてもそうである。しかし、それこそ今までとは別機種を使うことになるときにはきわめて当たり前のことです。当たり前な範囲の「不都合」をきちんと処理しさえすれば、九八陸偵や一〇〇式司偵やAT輸送機を海軍で運用できていたわけなのですから。
片
- 陸海で各種機器のレイアウトが違ったり操作機器の押す引くが逆だったりするので、仮に陸海陸海陸海と交互に統一採用された場合は機種転換訓練に苦労すると思うのですが。
- > 7.
本土防空戦で有名な二百四十四戦隊は九七戦から三式戦に機種転換する際、スロットル操作が逆さまだったので最初は戸惑ったがすぐに慣れたと聞きますので、余り問題にならないのではないかと思います。
計器の配置やフラップ操作装置の位置・操作方法などが機種毎に少しずつ違うのはよくあることですし、そういったそれまでの機種との違いに慣れる為に機種転換訓練を受ける訳ですし。
T216
- >7
陸海軍でスロットルレバーの操作方向が逆、というのは俗説に過ぎません。
隼も零戦も疾風も紫電も烈風も全て同方向の操作です。
BUN
- >9
割と根強い俗説であると思うのですが(私も割と年いくまで信じてました)、何故こんな話が出てきたのでしょう。
過去、何か有名な書籍でそういう記述があったとか?
satoski
- >10
九七戦やキ43の試作機の頃まではスロットルレバーの操作方向は、確かに海軍とは逆だったんですよ。その後、海軍と同じになりました。ですから、>8のような話にもなるのです。
片
- > 9.BUN様
>10.satoski様
私もこの回答を読む今の今まで、陸海軍のスロットルの方向が逆だと信じていて、新しいスレで「いつからこのような不統一が生じたのですか?」と書き込む準備をしていたところでした(大汗、_| ̄|○ …)。
>過去、何か有名な書籍でそういう記述があったとか?
70年代に出た酣燈社の「航空情報」別冊「日本の陸軍機」の中で、九五戦の後継機の開発と競争試作の過程で、海軍の九六艦戦をキ-18として導入したり、三菱の試作機キ-33として導入した際、スロットルレバーの操作方向を含む仕様を陸軍式に改めたとの記述があるはずです(少年心にも明確に記憶しています)。
また同じく「日本の海軍機」で、海軍が陸軍の九七司偵を九八陸偵として採用した際にも、スロットルを含む仕様を海軍式に改めたとの記述があったと思います(関心の低い偵察機なので、こちらの記憶はやや曖昧)。
どちらも横森周信氏や鳥飼鶴雄氏ら巨匠が執筆陣だったはずなのですが…。
またさらにその前の小学生の頃、坂井三郎氏の子供向けの本「ゼロ戦の栄光と悲劇」(40年近く前だから書名は不正確、版元も不明です)の中で、硫黄島上空でグラマン15機に囲まれた時、「スロットルレバーを一杯に引い(て加速し)た」という記述があったと記憶しています(その時点で坂井氏は右目を失明していて、「左の目で照準器を覗く」「〔眼精疲労で〕「左の目が痛い」などとの記述とともに強烈な印象があります。ハラハラ、ドキドキして読んでいたので(^^;)。
それを考えるとゼロ戦のスロットルレバーは、「引いて加速」ということになり、米軍機など世界の主流の「押して加速」とは逆になっていると思っていたのですが、これは正しいのでしょうか? 9のBUN様のご指摘のとおりだとすると、陸軍機も「引いて加速」となりますが如何でしょうか?
またこれらが事実とした場合、なぜ世界の主流とは逆になったのでしょうか? 自動車のアクセルペダルや、馬の手綱とか、人間工学的にも「押して加速」の方が自然なように思うのですが…。
NG151/20
- _| ̄|○ :「がっくり」という意味の絵文字です。改行されて意味不明になってしまいました。スレ汚し失礼します。
NG151/20
- >「スロットルレバーを一杯に引い(て加速し)た」
物理的な操作方向の押す・引くという意味以外に、パワーを引き出すという意味で「ブースト +400 ミリまで引く」というように「引く」という言葉を使うことがあります。面白いことに英語でも pull をパワーを引き出すという意味で使うことがあり、With a Merlin engine the Mustang pulled almost 12% more manifold pressure than the Allisons のような用例があります。
>なぜ世界の主流とは逆になったのでしょうか?
イギリスに範を取った海軍に対し陸軍航空隊はフランスの強い影響下に育ち、
フランスの飛行機が「引いてパワーアップ」式のスロットルを付けていたことが理由だったと覚えています。
ささき
- > 12.
少し勘違いされているようですが、11.の片さんや14.のささきさんの書き込みにあるように「九七戦やキ43の試作機の頃まではスロットルレバーの操作方向は、確かに海軍とは逆」で「引いてパワーアップ」だったのが、「その後、海軍と同じ」押してパワーアップになったんです。
ですので、零戦のスロットルは「押してパワーアップ」です。
キ一八やキ三三、それに九七式司偵等の話は陸軍のスロットルが「引いてパワーアップ」の時代の話ですから、この頃に海軍機を陸軍が、逆に陸軍機を海軍が自らの規格にあわせた上で導入するのであれば、当然スロットルを逆にする必要があります。
T216
- 皆様ありがとうございます。積年の蒙がまた一つ啓きました。
三つ子ならぬ、八つ子の魂百までの私の記憶違いか、ささき様が指摘されたようなニュアンスの坂井氏の表現を、ゴーストライターが勘違いして書いたのだと思います。
元質問とかけ離れたテーマでお騒がせして申し訳ありません。
もう一つ訂正があって、キ-18やキ-33のベースは九試単戦で、九六艦戦ではありません。
NG151/20
- 中島飛行機で開発時よりキ43担当だった大島賢一氏は「軍よりの指令書が来た。・・・航空本部長、土肥原賢二中将名で『爾今〔スロットル・レバーは:引用者〕押し式とする』との一行がある簡単なものである。」と回想しています。時期は書かれておりませんが、話の前後から昭和14年4月から同年秋までの間のようです(『エア・ワールド昭和61年2月増刊ジェット&プロペラNo.1』98-9頁)。
さんぴん