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疾風は零戦、隼につぐ3500機近く生産されたと聞いていますが、同時期の活躍においては、はるかに生産数の少ない雷電、紫電改、屠龍、鍾馗の方が目立っております。これは疾風のエンジントラブルによるものと考えてよいのでしょうか。また、3500機の疾風のうち、実働稼動な機体は何機ぐらいあったんでしょうか。 黒江 |
- 雷電、紫電改の2機種については厚木302空の小園大佐や赤松大尉、343空の源田大佐や菅野大尉など、「名物男」とのセットで語り伝えられるエピソードが多かったゆえ知名度が高いだけで、実質的な活動期間や戦果は限られたものだと思います。
屠龍こと二式複戦は樫出大尉など大戦後期の夜間防空戦における武勇談が知られていますが、逆に言えば「戦闘機」として活躍したのはこの時だけでしょう。南方に進出した複戦は空戦では惨敗を喫し「戦闘機としての使用に値せず」とまで報告されています。しかし、襲撃機(軽爆)として対地対船攻撃、哨戒・船団護衛など地味な任務も含めた活躍はしています。
鍾馗こと二式単戦については開戦直後の独飛47中隊の限定的な活動と、震天隊を含む大戦後期の防空戦以外にほとんど活躍らしい話を聞きません。
ささき
- 日本陸海軍の新鋭戦闘機の中で戦闘機隊の主力としてまとまった数で使用されたのは疾風ただ1機種です。
疾風が本格的に投入された比島航空決戦には第12飛行団(3個戦隊定数56×3)、第16飛行団(2個戦隊56×2)、第21飛行団(3個戦隊56×3)、飛行第200戦隊(特別編制の大部隊 100機以上が進出)に加え第100飛行団(3個戦隊56×3)が進出準備中で、なおかつ支那、内地でも疾風に改変中の戦隊がある状況でしたから、少数機の活動のみに終わった紫電、紫電改、雷電などとは活躍の桁が違う、文字通りの主力戦闘機と言うことができます。
可動機/保有機比率も記録された数字から読み取る限り零戦や一式戦闘機とさほど変わりません。
重点的に整備されていた事と海軍よりも燃料事情が良かった事、また試作時代の問題点が解決されつつあった事などが比較的高い可動率を支えていると考えられます。
BUN