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何故、アメリカ軍はXP63をP63として採用したのでしょうか?同じような性能のXP40Qは採用しなかったし、やっぱりレンドリースの体裁を保つ為だったのでしょうか?それに、標的機としてしか使わないのに、A〜F型まで開発されてるのは、ベル社の企業努力なのでしょうか? まさのり |
- 量産型 P-63A の発注は試作機初飛行前の 1942 年 9 月だそうです。この時点ではまだ P-51B も試作段階で(XP-51B の初飛行が 42 年 11 月)、パッカード・マーリンの量産体制も整っておらず、二段過給アリソンを搭載した高空戦闘機を是非とも確保しておきたかったのでしょう。
XP-40Q は初飛行が 1944 年なので、「似たような性能」ではあっても時期は大きく異なります。
Eglin Field における審査で「実戦に不適な機材」との判定が下されたのは 44 年 3 月のことですが、この審査以降も P-63 の量産が継続された理由はちょっとわかりません。レンドリースが理由のひとつ、二段過給アリソンの用途に競合機種がいなかったことも理由の一つでしょう。(パッカードマーリン V-1650 搭載の XP-63B は「エンジンが確保できない」との理由でキャンセルされています)
「レンドリース用」と銘打って生産されたのは P-63E ですが、量産開始直後にドイツが降伏して 13 機の生産に終わっています。更なる性能向上を目指した D 型は 1 機、F 型は 2 機しか作られていません。
>企業努力
P-39/P-63 はベル社にとって貴重な自社製品であり、企業努力を次ぎ込んだであろうことは否定しません。サブタイプ型番の振られていない、風防や尾翼形状の異なる各種試作機の存在も知られています。
しかし D 型はともかく A/C/E/F 型はエンジンと尾翼形状が多少異なるくらいで外形的には殆ど変わっておらず、P-47 や P-51 であればブロック・ナンバーの違いで済まされてしまうような改修であることにも留意しておくべきでしょう。
ささき
- P-39Qの生産終了が1944年6月で、この際にベル社はP-39の生産ラインをそのままP-63用に振り替えてますから、P-63はP-39の代替として継続生産されたと見て良いでしょう。
私の資料だと「第一線戦闘機としての使用に不適」という報告が出されたのは44年5月ですが、この時期には未だUSAAF内部において、P-47やP-51の配備の必要性が薄い方面については、P-39の代替としてP-63を配備することが期待されていた節も窺えます(因みに1944/3の段階で、第一線機含めてUSAAFが使用するP-39は約2,000機と意外と多い)。
しかし8月にソ連からの「もっと戦闘機寄越せ」という要求に応える形で、「米陸軍航空隊で使用しているP-39とP-63を援ソ機として回す」という決定がUSAAFで下された結果、P-63はソ連向けレンドリース用の主力となり、USAAFの主要機材にならずに終わることになります。
大塚好古
- ささきさん、大塚さん丁寧な回答有難うございます。便乗なのですが
「実戦に不適な機材」と判定された理由は、何なのでしょうか?よく聞くのは、航続距離が短いという話なのですが
まさのり
- >3. "COBRA!" Birch Matthews 著によれば、航続距離が短すぎること、速度性能が「同等他機種にくらべて充分高速とは言えない」ことの2点が最も大きな理由として挙げられています。
航続性能については機内 136 ガロン(514 リッター)燃料のみ使用時、空戦 20 分(全力 15 分+緊急 5 分)を含めると巡航時間は片道約 15 分、行動半径わずか 65 マイル(104Km)に過ぎないというテストデータが掲載されています。
最高速度性能については P-63A-1, P-47D-20, P-38J-15, P-51B-5 との比較において、P-63 はほぼ全ての高度で他機種に 3〜10% ほど劣るとなっています(3000m でわずか P-47 より優速)。
ささき