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雷電や鍾馗は、実戦部隊で故障が多かった、といわれていますが、なぜでしょう。 確か、渡辺洋二氏の本だったと思いますが、B29接近の報を受けて十数機出撃した雷電が、相手が中々来ないので補給による離着陸を2.3度繰り返したら、4.5機しか飛べなくなった。 陸軍の飛行47戦隊が、鍾馗から疾風に改変したとき、整備が楽になったといった話、これらの具体的な理由が知りたいです。よろしくお願いします。 一撃離脱 |
- 一般に信頼性が高いと思われがちな火星も二〇型は不具合が多かったとか、ハ一〇九は「実用性無し」と批判される存在であったなどそれらしい回答もできるかもしれませんが、その戦記に書かれた事例が全てそれに関係するかどうか、そもそもそれが事実かどうかもわかりません。あの本のあの部分だな、と想像はつきますが、それだけでは何とも言えないんです。
BUN
- 飛行47戦隊では、最初鍾馗を受領しました。
昭和17年のドーリットル空襲で、日本に呼び戻され、その後各地を転々として、最終的に西東京の成増基地に定住しました。
この基地では猛訓練がおこなわれ、整備隊もその例外ではなく、
毎日小隊長は整備隊長にレポートを書かなければならず、
また、パイロットは機体取り扱いについての講習会を受けるなど、
さまざまな訓練がありました。
そして、疾風に機種が変わると、猛訓練で鍛えた整備錬度から、
疾風は手のかからない機体として歓迎されました。
…たぶんこういうことだと思います。
わかりにくくて申し訳ありません。
ブルーハワイ
- BUN様
いつもお世話になっております。
いえ、質問に書いた話は、例として上げたものなので、それについて伺いたかったわけではないんです。
ただ、雷船の場合、火星の故障頻発はエンジンそのものだけなのか、機体とのマッチングやその他全体的な構造そのものにも問題はなかったのか?といった点です。
ブルーハワイ様
ありがとうございます。お話から想像すると、疾風より鍾馗の方が、整備に手間がかかる、若しくは疾風に比べて構造的に整備しづらい機体(もしかしてエンジンも含めて?)であった、と考えてよろしいということでしょうか?
一撃離脱
- まず、鍾馗は零戦や隼とは違うタイプのエンジンであることが未熟な整備兵にとって大変だったのだと思います。
それと、疾風は
量産しやすい=パーツに互換性があるということなので、
不時着したりしたらいわゆる「ジャンク屋」からパーツをもらって
修理していたそうです。
また、雷電に関しては、直径の大きい火星エンジンを使っているため、
胴体を流線型化して、エンジンを延長軸でつなぎました。
たぶん故障の原因はエンジンの冷却不足、プロペラの振動問題、
延長軸に無理があったのだと思います。
ブルーハワイ
- 同じく渡辺洋二さんの新文庫版「雷電」によれば、火星13型搭載の雷電試作機J2M1(14試局戦)では余り問題にならなかったのが、J2M2mJ2M3以降トラブル続きになったので、火星20型シリーズと、ぷろぺら、機体がそれぞれうまくマッチしなかったことが大きな要因に思えます。エンジン振動の原因は「エンジン作動時の振動にプロペラ羽根の曲げ振動が共振して振動が倍加され、さらに延長軸の存在によって、いっそう大きな連成振動を生じる点」(同書p80)だったそうなので、いずれも機体アッセンブルの三菱側の責任は薄いと思います。延長軸のない一式陸攻が整備しにくかった、という話は余りききませんものね。なおそれとは別にサンマルフタ空に多く配備された、高座工廠製の雷電は、強制徴用の若い人工で製作したため、仕上げ精度が相当三菱製より劣ったため、稼働率も低くなったようです。
火星については。学研の「雷電」が詳しいです。
galland-Ou
- それと陸軍機ですが、内地の47戦隊いがいでは、疾風の誉エンジンの方が圧倒的に整備しにくく故障が多かったはずです。誉はかなり無理して直径をしぼったため、冷却フィンは鋳造パーツの埋め込みだは、後列シリンダには整備員の手が入りにくいは、で整備側の負荷が増大しました。47戦隊は内地であり補給も比較的楽なのと、なにより整備将校の刈谷大尉が、戦前の日本では珍しい、ローテーション整備法を実践したため、故障で止まる前に整備したからこそ、難物の譽でもある程度の稼働率が保てたのだと思われます。
Galland-ou
- >5
火星一三型と二三型の違いは水メタノール噴射の有無です。
機体やプロペラとのマッチングの問題などではなく、水メタがJ2M2になって際立った不調の原因です。黒煙を吐いたりするのです。
同じく水メタ装備の火星を積んだ一式陸攻でも不調は発生しています。
片