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九五式水偵と零観は用途がほとんど同じだと思うのですが、なぜ機種名が変更されたのでしょうか? また、両機は九四式水偵や零式水偵などの三座水偵との棲み分けが異なるのでしょうか? 剣高 |
- 当時の二座水偵は、基本的には、機動のできる機体です。三座水偵とは、性能要求上も、部隊編成上も、カテゴリーの異なる機種なのです。
Fで始まる略符合を持つ観測機とは、二座水偵の様々な方向性のひとつとして現れてきたものではなく、そもそも二座の艦上機として構想された機種が、運用上の理由から水上機の形をとらせて計画されたのではないかと考えています。ですから、それまで水上機の開発実績がほとんどない三菱に試製が割り当てられたのではないかと思います。あれは八試複戦からの流れなのです。
片
- 昭和8年から10年頃、日本海軍は対米艦隊決戦に航空機をどのように取り込んで展開すべきかについて一定の見通しを固めますが、その中で巡洋艦搭載機には夜間、昼間の触接任務が振り分けられ、主力艦搭載機には観測と自艦の防空任務がより明確に要求され始めます。敵機との接触が必然的に発生する昼間触接任務や敵主力艦上空での観測任務に対して当時の二座水偵はそれなりの実用性を持っていましたが、洋上航空戦の構想がはっきりするにつれ、艦載水上機の機種は一旦、それぞれの任務に特化した専門機種に分化します。夜間偵察機、観測機といったその後、三座水偵、二座水偵に再び吸収されてしまう機種が、まずは新しく確立された概念に沿って独立機種として練られる時期があるのです。
九五式水偵と零式観測機にはさまれた数年は、汎用性に富んだ二座水偵を観測機として流用する時代から専門のより戦闘機的要素の強い観測機に移行する時期にあたります。しかし零式観測機の試作発注を追うようにして登場する十二試ニ座水偵には既に再度の機種統合への期待が込められるようになり、これ以降、瑞雲に至るまで二座水偵は高性能の万能機を目指すことになります。十二試ニ座水偵の計画要求審議で大和への搭載が検討されているのはこの機種統合要求によるのです。
同じ様に三座水偵も夜偵を兼務する汎用水偵として零式に統合されることになります。
たまたま九〇式以降良好な機体に恵まれたニ座水偵に対して次々に求められた多様な方向性を一旦、専門機種化した時代があり、その後、機種整理が行われているのです。ごく短期間のみ検討された艦上観測機構想は、水上機そのものへの不信と母艦の運用上から生まれた別の流れに属します。
積極的な空戦を考えず、夜偵と汎用水偵としての役割を振られて行く三座水偵もまた万能の九四水偵時代、専門機種時代、機種統合時代を経験しています。
BUN
- 片さん、BUNさん、回答ありがとうございました。
追加質問のIF質問なんですが、次世代重巡搭載水偵の
棲み分けは 零観+零式水偵 の次は 瑞雲+零式水偵
などになっていたのでしょうか?
それとも瑞雲へ統一されていたでしょうか?
又、同じく戦艦搭載水偵はどうなっていったと推測できる
のでしょうか?
剣高
- 重巡に零観は予定されていません。
最終的には全て瑞雲です。
BUN
- どうもありがとう御座います。
あれれ、戦時の頃の組み合わせで言うと
戦艦は 九五水偵→零観
重巡は 九五水偵+九四水偵 又は 九五水偵+零式水偵
軽巡は 九五水偵のみ?
だけで 零観+零式水偵の組み合わせはなかったんですね。
逆にいうと瑞雲は全てを賄えたと言うことになるのですね。
重ねてありがとう御座いました。
剣高
- その後考え直しました。
これは、九五式と零式を比べてカテゴリーをあれこれするのではなく、九五式以降で、単浮舟の零式水観と、双浮舟の十二試二座水偵という二つの道に分かれた、と見るべきなのでしょう。
戦艦へは水上観測機、重巡には急降下爆撃可能な二座水偵を載せる、という明確な区分けも存在していたようでしたし。
片