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映画監督の篠田正浩氏が中学時代、勤労奉仕に各務原飛行場に狩り出されていた時、原っぱで寝転がって、新式の飛行機の試験飛行を眺めていたそうですが、この新式の飛行機とは一般には公表されていない(例えば五式戦のような)新鋭機の慣熟訓練だったのでしょうか、文字どうりの試作機の試験飛行の可能性もあるのでしょうか。時期は昭和20年春ごろとあるので3月から5月ごろだと思います。各務原には軍用機の量産や試作のできる工場があったのでしょうか。(8/5 日経 朝刊 私の履歴書) K.M |
- 各務原には陸軍航空廠があり様々な機体がいたはずですが、隣接して川崎重工岐阜工場もあり、2月にはキ100の試作機が飛んでいます。3月から5月頃ですとキ61IIから改造されたキ100量産機が続々完成しつつありましたから、それらの飛行検査がたけなわであったかもしれません。
片
- 各務原であれば、試作機でなくても新造機の試験飛行は毎日のように行われていたはずです。工場完成機は試験飛行を実施して飛行完了の状態で引き渡されます。当然それらは既存の旧式機ではなく新式の飛行機であるわけですから話も通ります。各務原はそうした性格の飛行場なのです。むしろここで慣熟訓練というか新鋭機への改変のための未修飛行が行われていることの方が不自然かもしれません。
BUN
- ありがとうございました。それでその後空爆を受け、滑走路をボコボコにされ、P-51やグラマンに襲撃されたのですね。
K.M