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初期の空母艦載機において、雷撃機は3座、急降下爆撃機は2座なのはなぜでしょうか?流星が登場するまで、両機の飛行特性や対G設計思想はまったく異なる飛行運動を行うものとして設計されていたのでしょうか? 備後ピート |
- 流星が取り上げられていることから、日本海軍に関する質問ととらえて答えます。
最初期の雷撃機は単座でした。三座である必要は艦偵にありました。
艦偵の新規開発が停止され、偵察兼攻撃機として三座機が使われるようになります。これが艦攻が三座である主要因です。
艦攻は大重量の魚雷を懸吊して飛ぶので、極端に急激な機動は特に望まれません。
対して、急降下からの引起しを行わなければならない急降下爆撃機は、戦闘機に次いで高い負荷倍数が要求される機種です。
艦爆は、艦攻に比して軽量の爆弾を懸吊していましたが、目標とする敵空母の飛行甲板装甲を考慮しなければならなくなったことから80番を装備しなければならなくなり、結果的に魚雷と同重量を懸吊しつつ引起しに耐える強度を持つ機体が必要になってきました。そこまでくればもう艦攻と別種である必要はなくなります。
片
- B7A1は八〇番は水平爆撃、急降下爆撃は五〇番までという運用条件で機体の基本設計が行われているのではないかと思います。
BUN
- 横からすみません。
>急降下からの引起しを行わなければならない急降下爆撃機は、戦闘機に次いで高い負荷倍数が要求される機種
ということは戦闘機で急降下爆撃も不可能ではないという事ですよね。だったら戦闘機を爆撃機の代わりに使えばいいのに。何故別の機種を作るのでしょう?
とある初心者
- >3
戦闘機は空戦機動を行なうために余剰出力が大きくなりますから、そのぶんを爆弾搭載に回せば代用軽爆になる、という発想と運用は、それこそ第一次大戦中からあります。
しかし、適時・適切な攻撃を可能にするための航法・捜索能力や、国によっては高速偵察機を兼用できる能力を求められたこと、また、爆弾搭載のために大重量・大翼面積となって機動力の劣る機体を敵戦闘機から守るためには防御兵装の操作員が必要なことから、急降下爆撃機・軽爆撃機用途の機体は複座以上とされてきました。
とはいえ、エンジンの大出力化や地上・母艦を含めた航法・通信システムの高度化によって防御力・航法の面での単座機のハンデが小さくなってくると、もともと軽快な戦闘機のほうが目標に到達しやすいうえ、機種統合による運用上のメリットも大きいことから、日米を中心に艦戦による緩降下・急降下爆撃任務を志向した機体や運用法の開発が行なわれています(零戦の爆戦化等)。
Schump
- >3
艦上爆撃機には代用戦闘機としての任務も与えられています。
戦闘機の性能に対する要求は時代を経ると一層厳しくなりますから、代用艦爆としての機能に十分なリソースを割くと戦闘機として凡庸になってしまいます。
また#1で片さんが述べられたように、艦爆に対する性能要求も厳しさを増してますから戦闘機流用の代用艦爆は性能的には不十分です。
両者に求められるところを高い次元で両立させられる飛行機は当時はまだ作れなかったのです。
SUDO
- 成る程。戦闘機でも代役をこなせるがあくまで代役でしかなく、両者の要求を高いレヴェルで実現させるには別々につくる必要があったのですね。
Schump様、SUDO様、ありがとうございました。
とある初心者
- どちらかというと、1930年代前半の日本海軍は、複座戦闘機も急降下爆撃機も観測機も、二座艦上機の格好でまとめようとしてました。
機種統合もある程度考えられていたようで、艦複戦で急降下爆撃実験やったりもしています。
しかし、艦複戦自体が所詮は戦闘機として二流に過ぎないのであり、この頃の模索の中からは二座艦爆しか生き残らなかったのでした。
片