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5104  96艦戦や零戦の設計主務者として有名な三菱の堀越技師は、東大航空学科卒ではあったものの、空力の専門家ではなく、むしろ構造関係を専門にしていたと聞いたことがあります。となると、堀越技師は内部構造や艤装の設計や指導は行っていたものの、外形的な機体デザインを直接に担当していた人は別にいたのではないかと思っています。

 中島飛行機では糸川技師や内藤技師が空力関係の専門家として機体デザインに大きな影響を与えたと聞いたことがありますが、三菱の堀越チームにおいて機体デザインを主に担当していたのは誰なのでしょうか。もし堀越氏が96艦戦や零戦の機体のラインを引いたのでなければ、あの堀越チーム独特の流麗な機体のラインの真の生みの親は誰なのでしょうか。
 
万年初心者

  1.  構造関係を専門にしていたのは卒業年度からすれば当たり前ではないでしょうか?(S2卒=1927年。NACAの翼型研究は1930年代です。)空力屋として分かれていくのはもう少し後でしょう。糸川技師や内藤技師がそういった空力屋の第一世代にあたるのではないでしょうか。三菱だと久保技師あたりからか?
     機体の外形ラインを引いたのは、諸証言によるとやはり堀越技師だと言われてます。上司や同僚のアドバイスくらいはあって不思議は無いですが、明確に空力担当という係が居たという証言は無かったと思うのですが。
    Filler

  2. こんばんは、初めて見て目に止まったので、投書しました。
    映画アビエーターを見ていたら、零戦にとても似た飛行機が出ていて
    ハワード・ヒューズが乗っていました
    機体のデザインは当時のはやりだったのでしょうか?
    まったくの素人なので、話をそらしたらすみません
    みゆき

  3. 「重量配分や、発動機外形・搭乗者の突出、実用面での要請などから受ける制約をどうクリアするかという意味での機体アレンジ」と「その機体を直接構成する空力的ライン」はある意味で別物であり、しかしそれらが総合された結果として飛行機の外形が定まってゆきます。例えば、学研「零式艦上戦闘機2」には完成した実機とは異なる三種類の三菱十二試艦戦の風洞模型の写真が紹介されています。これらは上記のことに対する三つの解答案なのです。それらが風洞実験にかけられ、さらに別の要素も勘案され、最適なものが絞り込まれてゆきます。そのようにして初期計画が煮詰められてゆく。こうした場合、「誰か一人の『デザイナー』が『デザイン画』を描いている姿」のようなものは想像されないのが良いのです。

    三菱名航技術部の場合、空力的なデータは研究課が担当します。
    設計課は基本的には、強度計算、重量計算、動力艤装、その他詳細設計を行うセクションです。久保富夫さんは設計課員として強度計算担当のキャリアを積んで設計主務者になっていったりしています。

    他社も大体これと同じで、「空力そのものは研究課」「機体アレンジと強度重量計算、艤装、詳細設計は設計課」という配置になっていました。空力に相当な興味を持っておられた川西の菊原静男さんも設計課の強度計算です。

    中島では、研究課に相当する部署を設計課内に取り込むという特徴的な方針を持っていました。方法論の異なる三菱と中島の設計システムを同列に並べ見るのもまた難しいのです。

    空力、すなわち流体力学の研究者は、もちろん、堀越さんよりも古い年次の卒業生からも輩出されています。


  4. 例えば、最も模範的な胴体設計は、翼型を軸に沿って回転させて出来る回転体の形をとらせることであり、そこからの突出を最小限に抑えることです。
    堀越さんも本庄さんも、この考え方を強烈に守ろうとするという姿勢で共通しています。のみならず、これは当時の三菱名航設計全体を支配しています。
    したがって、九六戦も零戦も尻尾の先が尖がることになる。
    では、どのような翼型を使えばよいのか。これは、与えられた諸条件に沿えるようなものを研究課が出して来ます。胴体のラインの基本はここで決まります。
    しかし、操縦者の頭は胴体ラインから突出しなければなりません。
    翼型回転体のどの位置からどれのような形のものを突出させればどれくらいの抗力が発生するかというデータは、また、研究部から出されます。水滴型風防の場合これこれ、ファーストバック型の場合これこれ、などと。操縦席の位置は重心との相談になりますが、重量配分上望ましい操縦席位置とその場合の発生抗力とを天秤にかけ、兼ね合いをはかるのは基礎計画者の仕事になります。
    翼型回転体から突出するのは、操縦者頭部だけではありませんから、その一々について同じような検討が行われます。そうした取捨選択がいわゆる設計主務者の仕事なのです。
    しかし、どこかの時点まで行くと並立するいくつかの案が残ることにもなります。そうしたときには、模型が作られ、研究課の風洞で実験が行われます。
    飛行機の外形はそのようにして徐々に出来てゆくものなのです。


  5. >2. H-1 と零戦の間には「空冷エンジンを積み胴体を絞ったらこうなった」という必然以上の共通点はないと思います。
    ささき

  6. うーん、H−1の設計者リチャード・パルマーはロッキードの出身でノースロップの影響を受けており(多分)、そのノースロップのV−143が零戦に影響を与えてますから、ちょっとはあるのかも(笑)。


  7. 片様、分かりやすい解説ありがとうございました。
    本来であれば原稿料が発生するであろう詳細な解説を、名も無き一ファンにしていただきいただき恐縮です。
    監督の分かりやすい解説はいつも非常に勉強になります。いつの日かこのような知識が一冊の本としてまとめられることを希望しております。
    万年初心者


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