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日本軍機の中には、米軍からZEKEやBETYYなどの呼称があったようですが、 日本軍も米軍機に呼称を付けていたのでしょうか? 夏 |
- アメリカから見た日本機はなじみが薄い上、「何故、こんなに何種類もの九七式が存在するのか?」という当初の混乱もあり、コードネームが必要とされています。
しかし、戦前の日本の航空技術は海外からの移入技術に負う部分がひじょうに大きく、陸海軍、一般ともに欧米の飛行機の名前に触れる機会はふんだんにありましたから、コードネームを付けて識別する必要は特になかったのではないでしょうか。実際、日本側で作った識別帳類には「F4U戦闘機」のようにほぼ原名で記載されています。
片
- 手記を見るとメザシ(P38)とかカツオブシ(P36)の言葉が出てきますが、識別帳には記載さててませんから、パイロット同士が付けたニックネームで正式に付けたコードネームはないようですネ
秋
- >2
ゴミレスな上に、あやふやな記憶をひとつ。
「朝日新聞の戦争責任 東スポもびっくり!
の戦争記事を徹底検証」
安田将三、石橋孝太郎 著 太田出版 1995/08出版
上記の本を読んだ記憶では当時の新聞で「憎き敵機に
ダサいアダ名をつけようキャンペーン」みたいなもの
がありまして、応募の結果p38はメザシに決定した
そうです。あくまで国内の、いわゆる銃後の国民によ
るものですから、前線の将兵の間で言われた名称とは
別口ですが。
p36ではなくてベルp39エアラコブラをカツオブ
シと決定していたような記憶が・・・
当時の国民は何種類くらい敵機の名前と形状(シルエッ
ト?)を知っていたのでしょうか。少国民(子供たち)
は、かなり知っていたようですが。
ものじ
- ものじ様 p36ではなくてベルp39エアラコブラをカツオブシと決定していたような記憶が・・・
その通りです m(__)m 間違いました
祖父母は空襲にあった時の話を艦載機、グラマンとB29の三つで語ってくれました。 夜爆撃に来たB29以外は当時の一般的にはあまり知らなかったのでないでしょうか。
秋
- パイロットの間ではP−38は「ペロはち」F4Uは「シコルスキー」と
呼ばれていたと聞いたことがあります。
森(中略)オッサン
- 俗なニックネームは日本にもあったでしょうが、米軍で定めていたのは、公文書にもその名で書き留めることが出来る公的な名称だったわけです。
本来、同列には語りにくいものなんです。
片