4998 |
零戦の動力である栄一二型の全開高度、4,200メートルという数値はどのように決定されたのでしょうか。 最近の問答を拝見しているうちに、機体の開発と発動機の開発との関係がわからなくなってしまいました。「はじめに発動機ありき」なのか、それとも機体設計側、用兵側の意向が発動機側にも影響するのか。いろいろなケースが有り得るとは思いますが、とりあえず端的に、零戦二一型の最適高度が、どのような経緯で四千メートル付近になったのかということを御教示下さい。 粗雑な質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。 拳王 |
- 「機体側の要求」というものが始めから存在しているわけではなく、機体も用兵側の要求に従って計画設計されるものです。
ある時期までは現にそこにある発動機の技術水準によって全開高度も縛られていたと思いますが、次第に用兵側の意向が発動機の運用高度を指定するようになり、そのための発動機側技術開発を促すことを始めます。
零戦の場合は、その開発根拠となった昭和11年の性能標準で実用高度を「3000〜5000米」と指定されています。一方、艦攻は「2000〜4000米」でありそれ以前には上昇限度そのものが「4000米」でした。このあたりが、栄一〇型系列にも九七艦攻の低空型一一型と、零戦、九八陸偵の中高度用一二型が存在する根拠となっていたのでしょう。
戦闘機の主用高度についての要求はさらに高高度化する傾向にありましたから、発動機も二速過給器付の開発が促されます。零戦の場合、ひじょうに近い将来に二速過給器付発動機に換装できることが、発動機選定の際の大きな理由として現れています。
片
- >1. 片様。素早いご返答ありがとうございます。
こんな質問をしたのは、4982でFw190AとBMW801との関係についての問答を拝見して疑問に思ったからです。
そんなに1速と2速との間の谷が大きい発動機をどうして選択したのか、用兵側ではこの発動機特性に不安を感じなかったのか、それとも東部戦線での空戦高度はドイツ用兵者の想定範囲外だったのか、等々。考えるうちに用兵側の要求、機体開発、発動機開発、これら三者の関係がわからなくなってしまったわけです。
各国で事情は違うのでしょうが、帝国海軍では用兵側の要求に合わせるように機体、発動機の開発が進められたのだと理解しました。
拳王
- 各国で事情は違うでしょうが、日本では航空発動機技術が英米に比べると遅れ気味でしたから、列強の水準を意識する用兵側の要求の方がどうしても前に立つことになります。
用兵側から大戦中期以降に出現が要求されていた新型機が、軒並み発動機側の事情で実現できなくなっていった辺りに、典型的な情景が見られるように思います。すでに外形も出来ている機体に搭載すべき発動機の技術開発が、用兵的な要求に追随できていなかったのです。
片