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4684 過去ログを漁ってみたのですがわからなかったので、WWII当時の帝国海軍の局戦「雷電」について教えてください。

「雷電」開発指示の少し前に帝国陸軍で重戦「二式戦 鍾馗」の開発が進行していたと認識していますが、なぜ帝国海軍は「二式戦 鍾馗」を陸軍と共同開発する(もしくは情報交換をする)のではなく、「雷電」独自に開発したのでしょうか?

零式戦と一式戦のようにまったく運用目的が異なるのであればいざ知らず、洋上航法も必要とされず(空母運用も?)、重武装・上昇力重視の迎撃任務を主とする機体がほぼ同時期にそれぞれ別ラインで開発・生産されるというのが非合理的に思えます。

「雷電」と「二式戦 鍾馗」のそれぞれの要求仕様を付け合わせたわけではないので的はずれな質問なのかもしれませんが、単に陸軍と海軍の仲が悪かった、だけではない理由があればご教示いただければ幸いです。
md

  1. 雷電は敵爆撃機の邀撃を主眼に置いた戦闘機ですが、二式単戦は邀撃機ではなくむしろ進攻用の長距離戦闘機として開発されたものです。この2機は零戦と隼よりも運用目的が異なります。陸軍と海軍の重単座戦闘機共通化は陸軍側からのアプローチで実現しつつあった時期があります。
    BUN

  2. 海軍としては、キ44で行われたように(当時の海軍の目からすれば)極端に高い翼面荷重によって高速を得るのではなく、まだしも使いやすい離着陸性能を持つ機体が必要でした。技術的に相容れない部分があるとすれば、このあたりはかなり大きかっただろうと思いますし、機体計画上かなり根本的な問題でもあります。海軍は高速機をどう作るべきかという研究をそれなりに積んでいましたので、キ44とは別のアプローチでも時速600キロの要求実現は可能なはずでしたし。
    運用面での性能要求が異なるために、陸軍主力機をそのまま持ってくれば自軍でも使えるだろうという考えは、海軍側には抱かれにくかったのです。



  3. 一方で陸軍側からすれば、降着速度の要求が低いことは何の障壁にもなりませんから、十四試局戦を自軍の重戦として採用しようという声が部内で現れるのも可能でした。


  4. 零戦の審議時に高翼面荷重で600km/hという話も出ていますね。
    またキ44と雷電は構想はキ44の方が若干早く、しかも雷電が難産だったという事情はありますが、同期生のようなものです。しかも火星を持つ海軍は致命的に信頼性が乏しいと評価され、しかもより低馬力であるハ5系のハ41、ハ109装備の戦闘機案には見向きもしなかったであろうと思います。
    BUN

  5. 実際、キ44が詳細設計に入ったのは13年夏ですから早いことは早いんです。雷電の計画要求内示よりも1年早いですから、実質で1年半程の差があります。
    その1年で使えるようになってきたのが火星ですね。


  6. 海軍の局地戦闘機構想は支那事変前には原案があり、局地戦闘機構想の行き着くところが十四試局戦計画なのですから「構想面でキ44が少し早く、雷電が難産」なのです。
    BUN

  7. BUN様、片様、詳細な説明ありがとうございます。大変勉強になりました。むしろ私の認識と逆だったのですね。

    もう少し教えていただきたいのですが、BUN様のおっしゃる

    > 陸軍と海軍の重単座戦闘機共通化は陸軍側からのアプローチで実現しつつあった時期があります

    と片様のおっしゃる

    > 陸軍側からすれば、降着速度の要求が低いことは何の障壁にもなりませんから、十四試局戦を自軍の重戦として採用しようという声が部内で現れるのも可能でした

    は同一の記録・事実からのご発言なのでしょうか?

    また、私の手元の参考書籍では、長距離侵攻用のキ-44の航続距離は1,400Km、局地戦闘用の雷電の航続距離は1,898Kmと、陸軍には魅力のある(と思われる)数値で記載されており(残念ながら型別の航続距離までは載っていないので疑わしい気もします)、陸軍側からのアプローチがあったのであればかなり納得感はありますが、微妙なニュアンスがつかみにくく、陸軍側からのアプローチの経緯と実現に至らなかった理由をもしご存知でしたらお教えいただけますとうれしいです。
    md

  8. 今月末頃の書店店頭を御覧ください。
    BUN

  9. ちょっと本題に戻っちゃうのですが、昭和13年頃の海軍の技術分野は空力面の研究や、大馬力発動機の完成など、高速機獲得という命題への答えを積み重ねることにかなり積極的になっている時期です。
    この時期を経たのちに出現する十四試局戦の機体計画が、零戦や零戦とと同じ技術レベルに立脚するキ44とは一段画したものになっていることは、その外形からも見て取れる部分があるかと思います。
    そういう意味からも、キ44に食指を動かしたい気持ちは海軍には現れなかっただろうと思います。時期の細部にこだわってしまったのはその辺りのことがあったからなんです。


  10. 性能標準案を策定しつつあった支那事変勃発前後の海軍は局地戦闘機も十二試艦戦も技術的には同じレベルで発想していたはずです。でもこの時には発動機が震天か金星しかない。火星を選択可能となった昭和13年以降でなければ局戦案は具体化しない。その停滞の間に主翼の変更など採り入れるべき新機軸を採り入れたのが十四試局戦計画の進み方ではないでしょうか。
    BUN

  11. いずれにしても、昭和12年レベルで可能な局戦では海軍は満足できそうもなかった、ということではないでしょうか。BUNさんとはそんなに離れた話にはなっていないと思います。
    しかし、陸軍では突破可能だったのは、主には15平米という小主翼の採用が陸軍では可能だったから、ということで。発動機審査の基準の持ち方にもありそうですが。


  12. そうですね。キ44計画の注目すべき点はまさにそこでしょうね。
    BUN

  13. BUN様、片様、再度のご回答ありがとうございます。

    時期的な解説をいただいて、得心できました。十四試局戦のほうがキ-44よりも速度・旋回性能がよく、上昇力は少し劣るという話しを以前聞いたことがあったのですが、この辺も今回のお話しとの関連性から納得できました。

    ありがとうございました。
    md


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