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始めて質問させていただきますよろしくお願いします。F8Fという戦闘機は”対零戦”を強く意識して作られたと聞いています戦えばおそらく零戦にはほとんど勝ち目は無かったろうとも言われているようです。F8Fのカタログ(スピードとか上昇力とか)を比較すれば零戦に分が悪いのは分かりますが、格闘戦においても零戦が勝てない、零戦に負けないF8Fの格闘力というものはどのようなものだったのでしょうか、私は単純に格闘戦とは小回りが利く方が有利というような知識しかないものですから想像できません。わかりやすく教えてください。また、このF8Fは戦争末期の登場時期になぜ”対零戦”だったのでしょうか合わせて教えてください もりやま |
- 正確には零戦に代表される日本の格闘戦を得意とする戦闘機群への回答、とみればよろしいかと。
零戦の後継機なんかも含めて。
勝井
- わかりやすくは無いのですが、直感的に理解できる簡単な例えとして、
>格闘戦とは小回りが利く方が有利
96艦戦と、零戦が格闘戦を行って、零戦が勝利するのと
同じメカニズムの
延長に零戦とF8Fとの格闘戦があります、
無頼庵
- F8Fは艦隊上空の制空権を確保できる=零戦を完全に圧倒し去ることができる=あり得べき零戦後継機にも対抗可能な戦闘機として準備された、F2AやF4Fの正統後継とも言える戦闘機です。
単なるF4Fの拡大馬力拡大型として始まってあまり明確でない目標のもとに作られたF6Fや、ひたすら高速艦戦として準備された、つまりこれまでとは違った新たな系統として始まったXFL、XF5F、F4Uとも異なる、戦前からの運用思想に必要と思われていた要素を集大成させた機体で、最新技術でもって戦前理論をなぞった戦闘機であるとも言えます。
その意味で、F4Fの後継がF6FでないことはF6F登場後もFM-2を必要としていたことからも窺えるでしょう。
F6Fは、戦争になったときにそこにあってすぐに作れた比較的高性能の機体であったから量産された半端な戦闘機であったわけで、米海軍艦上戦闘機の本流にあった計画ではありませんし、まして零戦に対抗することが目的で作られた戦闘機ではあり得ません。
F6Fの試作計画は、米海軍が零戦の威力を知るずっと前から始まっており、その方針はF4Uの試作状況の影響や海軍の思惑の変化により二転三転しています。またもちろんそういうわけですから、F4Uもまた零戦の有無とは全く関係のないところで計画された機体です。
設計試作段階で零戦という敵機があるということを知っていたのはF8Fからということになりますから、「F8Fという戦闘機は”対零戦”を強く意識して作られた」ということになるわけです。
また、F4Uの後継機はF2GまたはF4U-5以降ということになるでしょう。
更には、小型空母や低速空母からも使える低空用高速艦戦にあたる機体がFRです。つまり、FRは「ちびF2G」とも言えます。
また、同じ双発機であってもXF5FとF7Fは少し発想が異なっているように思います。
艦戦のジェット化、及び艦隊空母の大型化の波に飲まれてしまいましたが、F8Fはこのどれでもない、F4F〜FM-2を完全に代替し得る戦闘機になるはずのものでした。
まなかじ
- もりやまさんへ、格闘戦の繊細な知識は私も持ち合わせてませんが、後半の“対零戦”に関して知っている範囲でお答えします。
F6Fはまなかじさんも言われてますように、対零戦の機体ではありません。ただ、零戦に対抗するには十分な性能と米海軍当局は認識していたようです。昭和19年6月までは…。ご存知かとは思いますが、サイパン戦で捕獲した最新鋭の52型との比較テストの結果、各種性能は勝ってましたが模擬空戦でこてんぱんに負けてしまい、F6Fをもってしても零戦との1対1の空戦は危険、との判断にショックを受けた米海軍当局は、零戦の後継機が出て来る前に…と既にグラマン社に試作命令を出していた次期戦闘機(FX)開発の促進を要求します。…これが後のF8Fです。
設計主任W、シュベンドラーがF8Fに求めたものは、堀越技師が零戦に求めたものとまったく同じものです。すなわち“徹底した機体の軽量化”です。随所に零戦の設計思想が影響を与えています。機銃の削減、胴体の葉巻化、カウリングのエンジン直径ギリギリの絞り込み、涙滴型風防、脚の引き込み方法、沈頭鋲etc…異教徒の作ったゼロにやられた屈辱感が、アポロ計画と同様異様な情熱を醸し出し(アポロの時はガガーリンの『天に神はいなかった』という神の否定に対して)開発命令後わずか10ヶ月後の完成となります。F6Fと同じエンジンながら1546キロの軽量化…いかにF6Fが贅肉だらけだったか…。
翼面荷重の減少が、格闘力において大きな要因を占めているのではないかと、素人の私は思います。厳密に言うならば勝井さんが言われてますように“対零戦”ではなく“対零戦後継機”“対日本機格闘部門”だったのかなという気もします。零戦の設計思想がF8Fに受け継がれ、大馬力大型重量を求めたF6Fの設計思想は烈風に受け継がれ…競合発展するテクノロジーの皮肉ですね。
以上です。受け売りで申し訳ないですが、何か力になれたら幸いです。
沢
- >沢さん
XF8F-1の試作機発注でさえ1943年の11月27日です。どうにもなりません。
この機体が対零戦をどれだけ意識して計画されたかについては何かと疑問がありますが、どちらかと言えば日本人の願望に近いものではないかと思います。
BUN
- >私は単純に格闘戦とは小回りが利く方が有利というような知識しかないものですから想像できません
米海軍の F8F と米空軍のジェット戦闘機 P-80 が模擬空戦を行ったとき、「P-80 は F8F の周りを自在に飛び回り、好きなポジションから攻撃をかけることができた。旋回性に優れる F8F は P-80 の攻撃を回避することはできたが、攻撃位置に付くことはできなかった」と報告されています。
ささき
- F8Fが零戦対抗機というのは全くの妄想ですけれども、F8Fと零戦を重ねて見てしまう視点もまた間違っているのではないでしょうか。零戦によく似ているのはむしろその格闘戦性能で日本の高速新鋭機を圧倒し長大な航続距離をも誇るF6Fの方であって、軽量なF8Fをただそのディメンジョンだけで零戦と比較するのはどうでしょう。同時にF6Fを「贅肉だらけ」と評するのも愚かな話ではないでしょうか。
BUN
- BUNさんへ、返事が遅れてすいません…。
F8Fには、アクタン島捕獲の零戦21型の設計思想が幾分影響を与えていたと私は思います。基本はもちろんアイアン・ワークスなどのグラマン社の長所がまず先にあり、+セーフティ・ウイングチップなどの新機軸や、零戦とは似ても似つかぬコックピットなど、グラマン社の技術と零戦のいいとこどり、みたいな印象を持っています。ただ、F8Fの設計主任者の意見を聞いた訳ではないので、私の意見は間違っているのかも知れません。
『贅肉だらけ』は=駄作機との趣旨で言った訳ではありません。誤解を与えてしまったようで、BUNさんすいません…。
私のF6Fに対する認識は、機体寸法も重量も大きく、およそスマートとはいえない機体を2000馬力級エンジンで引っ張り、その頑丈な構造と数で零戦を打ち負かし、もっとも多くの日本機を撃墜した戦闘機であり、名設計とは言い難いけれども、兵器の必須条件である“武人の蕃用に耐え得る”丈夫な戦闘機として、傑作の部類に入るべき機体だと…この位の認識です。
格闘戦性能に関しては、同技量のパイロット同士が対戦した零戦52型対F6Fの米海軍公式テストで優劣が判定してますし、その後“零戦と格闘戦をしてはならない”と米海軍航空技術諜報センターが警告を発している事、翼面荷重が零戦 107(s/m)F6F 185(s/m)と機体が格闘戦向きではない事、などを考えますと、圧倒したという話はいささか疑問がありますが…素人が生意気言ってすいません…。
沢
- 質問に立ち返って、格闘戦を考えてみると。
旋回性能(旋回半径)は速度と旋回Gで定まります。つまり二種の飛行機が、同じ速度で同じGをかけたら、同じ旋回半径になります。
よって旋回半径が小さいとは、より大きなGをかけられるという意味です。
で飛行機の旋回Gとは、揚力と自重の比です。揚力は基本的に主翼面積x揚力係数です。
つまり翼面荷重が小さい飛行機は、揚力係数を無理に引き上げなくても、大きなG(揚力÷自重)を発生させられるという事です。
揚力係数は、例えば迎え角を大きくする等で稼ぐ事が出来ます。よって翼面荷重が劣る飛行機であっても、迎え角を稼げば同じGをかける事が可能です。
但し、一般的には迎え角には制限があり、また揚力の増大に伴って抗力も増加します。だから大迎え角を取ると揚力も増えるけど抵抗も増える訳です。
そして抵抗の増大は失速を招きます。この失速を防ぐには加速力が必要です。
よって、旋回性能は2種の数字が生まれます。つまり維持旋回能力と瞬間最大旋回能力です。
乱暴に主翼の迎え角による抗力変化と迎え角制限を2種の飛行機で同じ程度と見なした場合、瞬間最大旋回能力は翼面荷重の大小と概ねイコールです。
しか、維持旋回能力は、その機体の加速能力と旋回抗力がつりあった状態ですので、加速力の大小も大きな意味を持ちます。
よって、零戦は瞬間旋回能力では、F8Fよりも有利ですが、維持旋回能力では優位を保てないと思われます。
つまりF8Fのほうが馬力荷重や最高速度で相当に優位なので、任意の速度に於ける加速余力でF8Fのほうが勝ると思われるからです(但し、低速になれば、その差は減少します)
そして加速余力の差は、戦術や操縦のミスで起こった危険な事態からの脱出に役立ちますし、当然ですが戦術選択肢をも増大させます。
つまり零戦とF8Fの空戦は、ほぼ一方的にF8Fが好き勝手に仕掛けて、そして零戦は技量次第では一回か二回ならば回避する事は出来ても、徐々に打つ手を狭められていって詰みになるであろうというのが想像される訳です。
またこの傾向はF6Fでも同じでして、F6Fは意外と低い翼面荷重から(紫電改や疾風と比べてください)日本の新型機と十分に対抗できる旋回能力と加速力を有し、零戦相手でも高速域の広い間合いで馬力を生かした縦の空戦を主に戦うならば(零戦が九六艦戦相手でやったように)圧倒する事は十分に可能だったのです。
よって、F6FやF8Fが日本機に格闘で対抗でき、また圧倒できる可能性を有している理由は、その馬力の余裕と、意外に低い翼面荷重の相乗効果だったのです。
SUDO
- F8Fが零戦の影響を受けているとするならば、零戦の何をどのように参考にしたかを示すものを挙げなければならないでしょう。
>ご存知かとは思いますが、サイパン戦で捕獲した最新鋭の52型との比較テストの結果、各種性能は勝ってましたが模擬空戦でこてんぱんに負けてしまい、F6Fをもってしても零戦との1対1の空戦は危険、との判断にショックを受けた米海軍当局は、零戦の後継機が出て来る前に…と既にグラマン社に試作命令を出していた次期戦闘機(FX)開発の促進を要求します。…これが後のF8Fです。
何と言っても上のような説明はあまり歓迎できません。
この際、F8Fが何を目標に開発されたのかを他の戦闘機と比較しながら調べてみるのも楽しいのではないでしょうか。F8Fの目標とした敵機はどのようなものだったか、F6Fは零戦に水平旋回で本当に勝てないものかどうか、楽しみの種は尽きないと思います。
BUN
- F8Fが160mphで零戦と同等の旋回率を持ち、200mph以上なら零戦を圧倒すると報告されたのは、1944年10月に実施された合同戦闘機協議会で実施された模擬空戦の時ですが、F6Fと零戦五二型の模擬空戦もほぼ同時期に実施されてますので、F6Fとの模擬空戦の結果を見てF8Fの計画の推進を加速したと言うのはありえません(因みに捕獲した零戦五二型(旧61-120)が米国内で飛行可能になったのは1944年8月22日です)。
なお、F6Fが零戦に対して運動性が劣るのは「低速域・低高度」での話で、模擬空戦では175kts/h以上なら零戦と同等の運動性を持ち、200kts/h以上なら上回ると評価されています。低速度の旋回戦も高度9140m以上ならF6Fが勝ると評価されてますね。
大塚好古
- >1944年8月22日
奇しくもF8F一号機初飛行の翌日ですね。
片
- みなさんの回答大変勉強になりました。質問者ではないのですが…。
BUNさんへ、私の考えはどうも限られた資料で偏った考えがあったと思います。詳しい知識も資料もない中、当時の状況を断定するような意見であり、今後大いに気をつけたいと思います。ありがとうございます。本当に楽しみの種は尽きませんね。
SUDOさん、旋回性能の話勉強になりました。圧倒する事が一定の条件下で可能だったんですね。大塚好古さん、確かに時期的に見て52型との模擬空戦結果は何の影響も与えてなさそうですね。いや本当に素人が状況を断定してしまい、もりやまさんにも申し訳ないです…。
沢
- グラマン社のテストパイロットだった Corkey Mayer 氏はアメリカの航空雑誌 Flight Journal によく寄稿されていますが、氏の回想によれば彼がはじめて零戦(サイパンで捕獲された 52 型 61-120 号、現在チノの博物館が所有している機体)を操縦したのは 1944 年 10 月 22 日のことで、「貴重な捕獲気のため、一部のテストパイロットが搭乗を許されただけだった。その当時は既に旧式化していたが、大戦初期には確かに一級の性能であったであろう」という印象を記されています。
また氏の回想によれば、1943 年の秋にグラマン社の社長レロイ・グラマン、主任テストパイロットボブ・ホールらがイギリスに招かれ捕獲機の Fw190A-4 を検分したときに強い印象を受け、これが F8F の設計に影響を与えたとあります(ボブ・ホールはグラマンに「Boss, if we put R-2800 on it, we will have a world beater!」と語ったと記されています)。
ささき
- みなさん、私のような新参者の稚拙な質問にたくさんのご回答ありがとうございました。一日経って見てみたらこんなにたくさんの回答が付いていてビックリしています。楽しく読ませていただきました、とりわけSUDOさんの回答で私も格闘戦の様子を想像できるようになってきました。また分からないことがあった時はよろしくお願いします
もりやま