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下のリンク先でBackground の3段落目に、日本がスウェーデンに対し零戦を売ろうとした、とあります。この経緯のついての資料などがありましたら、ご紹介をお願いします。 http://www.canit.se/~griffon/aviation/text/22ffvs.htm APOC |
- その話については
http://www.warbirds.jp/truth/sweden.html
でもちこっと触れていますけれど、とりあえず恵比寿では手がかりは見つかりませんでした。
(ただし、そんなに気張ってローラーをかけたわけではないので、どっかに埋もれている可能性も全く否定できませんが)
まなかじ
- 冷や汗かきました。まなかじさんがリサーチされていたんですね。日本からの売り込みという話は少なくとも逆のようですが、メーカー直の可能性もあるのでしょうか。
APOC
- ご提示のリンクに在ります「SAAB 19」をクリックすると「J 19 - Saab L-12 A Swedish "Zero"」に飛びます。
在日大使館が何らかの行動を取ったとしても不思議はないですね。
早房一平
- 零戦がいかに際立った特徴を持たないとしても、このスケッチが当時のままなら限りなくクロですね。
APOC
- J-19 については「グラジエーターを更新する機材として」「サーブ社が米国技術者の協力を得て設計した」「ブリストル・タウルスないし P&W ツイン・ワスプ搭載の単発戦闘機」で、「零戦に極めて良く似た外形を持っていた」とされていますね。翼幅は 10.5m で零戦 52 型の 11m に近く、自重は零戦 52 型より約 200Kg 重い数値が記されていますね(それなのに全備重量は大差ないという事は、燃料搭載量に大差があるように思われます)。
>このスケッチが当時のままなら限りなくクロですね。
J-19 は 1939 年 9 月に原案が提示されたとありますが、A6M1 の完成は 39 年 3 月です。もし日本から零戦のオファーが本当にあったとして、J-19 がその時目にした図面や写真に影響を受けているとすれば、日本は本当に出来たてホヤホヤの最新鋭試作機の図面までスゥエーデンに見せていたことになりますね。
…うーん、あり得るのかなぁ、そういう事…。
ささき
- 「このスケッチだけ見ると、限りなくクロに近いように思えます。」
と訂正させてください。度々済みません。
まさか、無いとは思うのですが、セバスキーからの流れと割り切るのも抵抗がありますね。
APOC
- >6.
そうですね、スケッチの出所が知りたいところです。もしかすると「零戦に似た機体」という言葉だけが残っていて、それを元に後で描かれた想像図だったりすると本末転倒ですし…。
>セバスキーからの流れ
水滴風防、とんがり尻尾、略三角形の垂直尾翼など、部分だけ見れば似ているラインもあるのですが、全体の印象がまるで違いますからねぇ。
ささき
- サーブL12(J19になるはずだったもの)の設計には、ダグラス(ノースロップ系)の指導を仰いでいるようです。
また、その伝からいくと、J19は「ノースロップA-17を単座小型化したような」シルエットのようにも見えますね。
L-12計画では、J21のウェンストレームやJ22のルンドベリもチームに参加していたようです。
まなかじ
- 元ネタというより、兄弟に近いかもしれない訳ですね。J23,24,27と並べたら何とも無節操なラインナップに見えて可笑しいです。面白いシリーズですね、楽しみが増えました。まなかじさん、ささきさん、いつもありがとうございます。早房さん、またよろしく。
APOC