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先日,SAAB J-22戦闘機の引込脚について気が付いたのですが、あれは胴体下面に後方へ両方揃えて、そのまま引き上げる構造になっていますね。(お陰でタイヤの引込み位置などはかなり後方です)。あの構造と引込み方法には、何かメリットが有るのでしょうか?他に類似例を見た事が無いので不思議なのです.(ハインケルのペーパープランにそれを思わせるようなものはありましたが、実機のJ22とは比較にならないので) kazu |
- 第二次世界大戦初期、スウェーデンはセバスキー社のEP-106(P-35とほぼ同じ機体)をJ9として運用していました。この機体は後方引込式の半引込脚(引き込み後もかなり大きな脚カバーが露出する)を採用していました。おそらくこのシステムを改良して使用したではないでしょうか。
カンタニャック
- フォッケウルフ Fw159 というパラソル高翼の試作戦闘機が似たような方法を取っています。利点は主翼構造がクリーンにできること、重量物が胴体軸に近づくのでロール性能が多少有利になるかも知れないこと…でしょうか。
ささき
- 強度の必要な脚取り付け部を胴体に据える事が出来る。
同じく油圧配管等の取り回しも容易になる。
#2で上げられてるように主翼側は何もしなくて良い。
脚長さを比較的自由にできるので、トレッド、着陸時の迎角等の選択自由度が稼ぎやすい。
比較的引き込み機構が単純なので、強度・重量の面で楽な場合がある(特に油圧構造が単純)
SUDO
- 胴体構造が鋼管骨組みだったから出来た芸当です、セミモノコックの胴体ならあんな事しません。
鋼管骨組みよりセミモノコックの方が強くて軽いですからJ22は一流の機体ではありません。
ガス欠飛行連隊
- 木製(桁のみ鋼製)でしかも薄い主翼に機銃を積んでしまったので、脚とその作動系を収める余地がなかったことが最大の理由だと思います。
その上で、>3で述べられているような利点があるから、それでいこうということになったものと。
>4
登場時期が1944年ではありますけれども「1000馬力強の空冷星型エンジンをつけた戦闘機」として括った場合、世界的に見てもかなり上位にくる機体だとは思いますよ。
確かに適用されている技術レベルそのものは最先端ではないかもしれません。
しかし、それでもたいていのセミモノコック胴体の「1000馬力強の空冷星型エンジンをつけた戦闘機」よりも高性能なのですから一流に伍しており、鋼管木皮の戦闘機としては超一流であるという見方もできるのではないでしょうか。
まなかじ
- >5 J22が交戦国の同級の機体と比べて、武装、防弾、防漏、急降下限界速等で同等であるならば同意したいと思います。
ガス欠飛行連隊
- http://www.anycities.com/user/j22/j22/index.htm
ここを隅から隅まで良く見て回って御覧なさいな。
まなかじ
- ついでに、鋼管骨組なら一流でないとすれば、テンペストやYak-3/7/9も二流機になるんですよね、やっぱり。
まなかじ
- >7 読むのに苦労しましたが、淡水魚と海水魚を比べるようなものですね。積むべきものを積んでから勝負してほしいです。
測定条件、機体条件が異なるデータをそのまま横並びにするのは乱暴でもあります。また抵抗面積をP-51と比較するならば同等の航続力、耐弾性、諸装備を獲得した上でないと無意味です。
>8 セミモノコックで作っていれば重量節約になるという意味ではそう思います。重量軽減は性能に直結しますから、
整備性や修理簡便性、場合によったら表面摩擦抵抗の少なさ等、鋼管羽布(木皮)張りにも良い点があるのは認めますけどね。
>5 手持ちの資料ではJ22Aの初飛行は1942年9月21日になっています。
ガス欠飛行連隊
- はあ、それで二流と言い切れる根拠がよくわからないですね。
その「同等」というのは何を基準とした話なのですか?
機体の重量? エンジン出力? 登場年代?
わたしは初めから「1000馬力強の空冷星型エンジンをつけた戦闘機」として括った場合、として話をしていますが。また、だからこそ登場年代に但書きをつけて、他の多くの「1000馬力強の空冷星型エンジンをつけた戦闘機」よりも4年〜3年半ハ遅れて出てきているということに注意を喚起しているわけですが。
件のサイトも、それだけで話を済まそうとは思ってませんよ。
それだけ大上段にかぶってお話をされるからには、零戦三二型以降や一式戦二型、F4F、FM、F2A、P-36、P-43、P-66、I-16といった「1000馬力強の空冷星型エンジンをつけた戦闘機」のデータはとっくに「積んで」らっしゃるものと思ったので、それと比較する材料を提供したに過ぎません。
それに、J22の部隊配備は1943年11月末のことです。従って、実戦化は1944年早春ということになるでしょう。
原型機の初飛行が登場時期になるとするのはたいへんに乱暴な話ではないでしょうか。
たとえばF6Fは1941年登場ということでOKであるということならそれはそれで構いませんし、間違っているわけでもないと思いますが、大方の場合、それでは話が食い違うように思いますが。
まなかじ
- J−22に関心を持ったのは、最後発の空冷1000馬力級戦闘機だからです。
まなかじ様が述べられているように、大抵の同クラスのエンジン搭載機より高性能ですし、それもコピーのエンジンを載せて実現しています。
そこにどんな工夫が盛り込まれていたのかが知りたいと。
当時のスウェーデンでは、J−21は傍目から見ても、かなり勇気のいる設計ですし
J−22は入手容易な材料で、速成しなければならない状況であの構造設計を採るのは理解出来ます。
それでもJ−22の設計陣や工場は戦闘機の経験やノウハウも殆ど無いのに、あれだけの性能を出せたと不思議に感じていたのです。この当たりをもっと調べてみたいと思います。
皆様、色々教えて頂き有り難う御座いました。
kazu
- ただ、伝えられるJ22の性能は、大抵の欧州各国の機体と同じく、非武装・無線機なし・燃料3分の1状態でのメーカー計測です。
従って実戦状態ではもう少し性能が下回ることは確実ですし、比較する場合は数字の出所に注意せねばなりません。
それと、ルンドベリ技師はP-66採用を前提にヴァルティに出向していたわけですから、次期主力戦闘機の製作現場に行かされていたということになります。
また、設計どまりで実機を作るところまでは行かなかったものの、J19で国内残留組もノースロップの指導を受けており、実績こそゼロですが多少の経験はあったものと思います。
まなかじ
- 只、疑問に思うのは、結構な重量物の脚を前後方向で移動しながら引込んでいるので、武装強化や何かで重量増が発生した時、設計バランスの取り難い(重量増→脚の強化→重量バランス調整→重量増)グロースファクターが多そうな案を選んだものだなと感じられる事です。J21までの繋ぎだと割り切っていたのかも知れませんが、逆にそれだとまた勇気のいる事ですが。
kazu
- >13
傍で見る限りではかなり頑丈そうな脚ですし、最初から多少余裕のある脚で、逆に以降の大変更はしない諦めるといった割り切りはあったのではないでしょうか。
SUDO
- >14
なるほど、諦めるというのは、良いところを突いてるかもしれませんね。
SUDO様、有り難う御座います。
kazu
- J22はエンジン出力の割りに高速な点が注目されているようですが、その主翼構造はまったく高速向きではない点にご注意下さい、ねじり剛性が弱く、同じ構造だったハリケーンはこの主翼構造を見限り、金属外皮の主翼に設計し直しました。また主脚を胴体に引き込んだために大容量の胴体燃料タンクが装備できなくなり、タンクが小分けになった結果、セルフシーリングタンクを導入した場合の容量減、重量増も大きい事が予想できます。
発動機出力が近似である場合、実機のカタログ値比較で得られる性能の差は、設計コンセプトの違いが現れているだけだと自分は見ます。
もちろん、カタログ値が高ければそれで良いという見方は否定しませんが。
ガス欠飛行連隊
- ハリケーンの初期型の主翼構造があの形式なのは一刻も早く数を揃えて、戦力化を図る必要も有ったからで、その点ではJ22と状況が似ていますね。
もとより資金や生産力に余裕が合った訳でも有りませんし、生産設備から立ち上げていたのでは時間が懸かりすぎで、国家防衛という目的に間に合わないのではどうもイケません。性能より早期実戦化が、設計コンセプトなんでしょうね。
kazu