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初めて質問致します。ミッドウェー海戦時にイースタン島基地航空隊のTBFやSBDが南雲機動部隊を米空母機に先立ち攻撃しています。これらの艦上機を南雲機動部隊では空母機だと疑うことはしなかったのでしょうか? また、艦上機として設計された機体を陸上基地で使用されている場合に、何らかの外見的な識別方法(機体の部隊番号以外で)があったのでしょうか? akira |
- 質問者です。しばらく前にこのサイトを見つけて、過去ログや別館等色々と見させて頂きました。非常に素晴らしいサイトで感動にも近い喜びを感じました。また、常連の皆様の博識さと真摯な態度に感心しております。私自身素人ではありますが、戦史を読むのは好きで、もともと色々と疑問を持っておりました。過去ログで解決できたものもあり、逆に新たに疑問として出てきたこともたくさんありました。今後整理して少しずつ質問させて頂こうと思っておりますので、よろしくお願い致します。
さて質問の件ですが、かなり以前より疑問に思っておりました。南雲機動部隊は利根4号機の「敵らしきもの十隻見ゆ ○四二八」「敵はその後方に空母らしきもの一隻をともなう。○五二○」を受け取るより先にTBFやSBDの攻撃を受けている訳ですよね。友永大尉の「第二次攻撃の要あり ○四○○」よりは後としても、最初にTBF雷撃機来襲時(○四二○頃?)に空母の出現を疑っていれば、兵装転換の混乱も少しは少なくて済んだのではという疑問です。
今まで私が読んだ戦史では、全てミッドウェーの陸上基地からの来襲と決め付けているように見受けられます。B17、B26は当然陸上機ですからわかるのですが、TBF、SBDを何故、基地からの来襲と決め付けられるのかが疑問なのです。私の読書不足による思い込みかもしれませんが、よろしくお願い致します。
akira
- 海戦前に「ミッドウェイ海域に米空母出現の兆候無し」という観測があったためではないでしょうか。
先に発艦した索敵機の索敵線先端到達予定時間である0415頃(利根四号機は30分ほど遅れて到達しますが)を過ぎても敵空母発見の報はなかったという事実と、海戦前の観測を考え合わせて、「少なくとも索敵可能範囲内に米空母はいない」という考えが浮かんできても無理はないかと思います。
またミッドウェイ基地攻撃隊のTBF、SBD、B-26、B-17は索敵機の索敵先端到達予定時間を過ぎた直後に一航艦を襲っており、「米空母はいないのではないか」と考えつつ、B-26やB-17とほぼ同時に攻撃を仕掛けてくるTBFやSBDを見て「母艦と基地から別々に出撃した攻撃隊が途中で合同してやってきた」と考える人はあまりいないのではないでしょうか(日本海軍自身が基地航空隊に艦爆や艦攻を配備していますので、基地から艦爆・艦攻が飛んできてもさほど不思議に思わないでしょう)。
T216
- 質問者です。T216さんご回答ありがとうございました。おっしゃることももっともなのですが、「空母はいないだろう」だけで決めているものなのですかね? 一応は空母の出現も有り得ると考え、索敵機を出し、艦船攻撃用の兵装で攻撃隊を待機させていた訳です。最初に攻撃してきたのが単発の雷撃機なのですからその時点で空母の出現の可能性を疑うのが、普通ではないのかな?と思います。「全般判断からするとほぼ基地機だが、空母機の可能性もあるぞ」位のことも思わなかったのでしょうかね。何か陸上基地から飛来したとの根拠があったのでしょうか?
私の素人考えだと、珊瑚海までの空母搭載機はTBDなので日本側はTBFを艦上機だと思わなかったとか(TBFの情報をどこまで日本でつかんでいたかは私は知らないのですが)、SBDが技量不足で急降下爆撃できずに緩降下爆撃をしたので空母機とは思わなかったとか、が考えられるのですが、これではどうも根拠が薄弱過ぎる気が致します。
もしそのへんもおわかりであれば、お教え頂ければ幸いです。
akira
- 逆に言うならば、空襲にやってきてるTBD、TBF、SBDを、敵空母から来たと判断する根拠も無いのです(我が陸軍には単発の軽爆がありますし、米海兵隊が海軍と同機種を使ってることも知られてるはずです。SBDは米陸軍も使用してます。日米海軍は基地から艦上機を運用する事も良くあります)
また日本側の報告でも、海兵隊の報告でも、空襲開始は0400前後で、索敵進出線到達予定時刻0415より早期です。
更に言うと利根四号機の0428電が艦隊に届いたのは0500前後だそうですね。
SUDO
- 質問者です。SUDOさんありがとうございました。結局艦上機の機体でも、空母から飛来か陸上基地から飛来かの識別方法はないのですね。そうするとやはり、全般状況より推測するしかないのでしょう。T216さんのおっしゃるように先入観があるのだから、基地から飛来との判断もしょうがないのですかね。
南雲司令部が空襲開始時に空母からの飛来の可能性を疑っていれば、別な展開もあったのかなと思い残念ですね。ミッドウェー海戦での敗因については、色々な点が指摘されていますが、これも一つのポイントのような気が致します。(全体から見ればささいなことかもしれませんがね)
そういえば似た事例としては、開戦劈頭にフィリピンのマッカーサー司令部も、台湾から飛来した零戦を空母から来襲と誤認して近海をずいぶん索敵したようですね。(これは零戦の長大な航続距離を知らなかったから?)
akira
- >5
だから、例え空母の存在を疑っていたとしても、敵機の機種が空母の存在証明になりません。索敵報告が不在証明になっている以上、司令部の懸念は、0415に解消され、対艦攻撃で待機する理由はなくなったのです。
例え「敵空母不在」の各種情報を怪しいと思っても、当時の彼らが出来る限りの手配で見つけられなかったのです。
この状況下で、敵単発機が来てる事を理由に、任務であるミッドウェイ空襲をせず、居ないと判明した敵空母に備えて攻撃機を待機させるのは、任務放棄なんです。
SUDO
- 質問者です。
0415の策敵進出線到達予定時刻がポイントなのですね。納得です。ありがとうございました。
akira