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ウルツブルグを国産化する際に、ドイツの図面は1角法で日本人技術者には理解困難であるため、3角法に書き直すひつようがあり、これにかなり時間を要したとあります。アツタ21やハ40のライセンス生産の際は、この問題はどのように解決されたのでしょうか。 1)DBが日本向けに書き換えてくれた。 2)愛知・川崎で書き換えた 3)日本人技術者に1角法を学ばせた ウルツブルグと異なり、時間的な余裕はあったと思うのですが、図面を読むのに苦労したと言う話は聞いたことがないので。 富士見町 |
- 戦前には、人的交流も含めて、戦時中に図面だけが移送されて来たような状況とはまるでちがう、きわめて通常の技術提携が行われています。ドイツへの派遣員による技術修習もありますしドイツからの技術者派遣もあります。
いずれにせよ、ドイツ語の製造図面をそのまま製作現場に回せるものではありませんし、必要な変更などもあり、日本側で図面を作り直すことになります。ご質問のようなことがったとしても、その時点で修正されたのではないでしょうか。
片
- 現在も一角法と三角法が混在するような場面はあります。例えばある部品の承認図が製造会社の都合で一角法であってもそう断ってあれば誰でも読めますから大きな問題は無いでしょう。アツタの製造図面をまだ見たことが無いので何とも言えませんが、別の兵器で独からの図面をそのまま綴じたものを機構説明書とした例があります。
BUN
- 造船関係は、1角法で製図していたそうですから(製図の教科書で読んだ記憶が・・・)、川崎なら意外とスラスラ図面を読める人が多く居たかもしれませんね。
いずれにせよ、製作用の図面は、片さんの指摘のように、日本側で図面を作り直すことになります。
(余談)
ライセンス生産で、フランスの図面とイギリスの図面を日本の図面に書き換える仕事をやったことありますが、特にイギリスの図面は、大変でしたね、インチからミリへの単位変換が。
長時間やっていると、頭がボーっとしてきて、計算ミスするんで、チェックが大変です。また、寸法公差の丸め方が、昭和28年(だったよな)制定の基準に照らし合わせて、切り捨て/切り上げ/四捨五入していくのですが、それも面倒だったなぁ。
キリン
- >3 >川崎なら
川崎も愛知もそれ以前から航空分野でドイツとの技術提携を行っていますし、特に目新しいことではなかったはずと想像します。
片
- ありがとうございます。戦前の技術提携では、そのあたりは十分考慮されていたと言うことでしょうね。ある意味当たり前ではありますが。
逆に、潜水艦で運んできた他の設計図、例えばMe163なども、例え設計図が届いて手もそのままでは作製困難だった可能性はありますね。
富士見町
- 一角法と三角法が混在していてもそれと判っていれば大丈夫なんです。
不便かもしれないけれど富士見町さんの考えるほど決定的な話ではありません。
BUN
- まあ、私も機械製図は一応大学で学んでいるのですが、一角法と三角法がそんなに決定的に違うとは感じませんでした。なので、ウルツブルグでわざわざ書き換えたと言うのが逆に驚きだったわけです。大学の機械製図で学んだレベルと、実際の部品では複雑さも違うし、ウルツブルグの場合はミスも許されない(時間的にやり直しが難しい)ような状況というのがあったのかもしれません。また製作を担当したのが日本無線で、航空機メーカーほどには技術者が一角法に慣れていなかったと言うこともあるかもしれません。
富士見町
- 良く読むと、陸軍にしろ海軍にしろ、標準図面は一角法だったらしいです。ですから川崎や愛知は図面に関しては何の苦労もなかったのでしょう。逆に日本無線は、軍の仕事をあまりしたことがなかったので、ミスを避けるため三角法にしたとのことでした。同様な例は、海軍の2号2型電探であったそうで、民間企業を使っての量産のため、特例として三角法が許されたとのことでした。
富士見町
- 当時の日本の航空機産業では一角法と三角法の両方を使用するという建前だったようです。その後の調べでその旨明記されているものを見つけました。
片